脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

ひたすら空撮写真を眺めた日~コミュニティと都市とメディア~

最近いたるところで「コミュニティ」というワードを目にします。コミュニティマネージャーがどうとか、コミュニティ運営のイロハがどうとか。

 

この単語を見かけない日は無いんじゃないかと思うほどFacebookでもNewsPicksでもTwitterでも流れてくるのですが、実際コミュニティが何なのかよくわかっていない自分がいて、理解を深めるために色々と考えたり調べたりしてみました。

 

ちなみに僕は最近「起源から掘る」というアプローチにハマっているので今回もそのやり方で検証を試みています(╹◡╹)

 

まずは仮説を立てる

「コミュニティって何だ?」と考えた時、シンプルに「人の居場所」だと思いました。次に人の居場所の起源は?と考えて「都市」じゃないかなーと思ったので、メソポタミア文明とかその辺から掘ってみようかとも考えたのですが、突然ものすごい気変わりして「いや、歴史ありそうな街の空撮写真を見よう!」と閃いてしまい、自分が思いつく限りもっとも歴史ありそうな街アテネの写真を見ることにしました(その直後に調べたらこんな発見が!世界で最も古い10都市と中東の帝国史) 

この時点で「起源から掘れてねーじゃんw」と1人ツッコミ を入れるものの、まあ世界史の知識なんて全然無いし、そもそも仮説なんで外れても良いやってことでやってみました。合っていようが間違っていようが自分なりに仮説を立てることで調べモノが楽しくなるので良いのです(╹◡╹)

 

実際に見てみた

アテネ 空撮」でグーグル先生にお願いすると沢山写真が出てきました。その中から今回は写真ACさんからDLできた写真を載せさせて頂いてます。

 

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最初見た時「街の真ん中に大きな丘があるけどこれはなんでだ?住みやすいのか?」と思いました。

 

僕が今回、この調べものをする前に唯一読んだ世界史関連の本「『民族』で読み解く世界史」から察するに人類は川と平地の近くに住む傾向が強いので、この大きな丘の周りに何故人が住んでいるのかとても不思議に感じました。

www.amazon.co.jp

 

自分の持っている知識だけで読み解こうとすると数秒で限界を迎えます。こういう時はまた仮説をタテマショウ(╹◡╹)

 

ギリシャといえばギリシャ神話、オリンピック、ヨーグルト、エーゲ海パルテノン神殿が有名ですよね。そういえば高校の時に倫理でソクラテスとか出てきたなーと考えているうちに次の考えが思い浮かびました。

 

農作物以外の「コンテンツ」を軸に発展した都市なのでは

先程紹介した「『民族』で読み解く世界史」を40pくらい読んだ時、大学受験で1秒も歴史を勉強してこなかった自分は「世界史は環境ゲームとM&Aの繰り返しである」という結論に行きつきました。

 

「環境ゲーム」というのは、そもそも人類の能力に優劣があったわけではなくて(多少の個体差はあるでしょうけど)その環境下で適者生存するために文明が栄えざるをえなかったのではないか、というものです。個人的にわかりやすいのはエジプト文明における太陽暦で、ナイル川が毎年氾濫する周期を読んで農業に活かすという文明は、水と共に生きる人々の努力によって生まれたものであり、その環境下にいたからこそ誕生したのではないかと考えています。

 

そうやって各地で発展した文明・都市どうし拡大していく中で戦って吸収されたりなんだりを繰り返していったので「世界史は環境ゲームとM&Aの繰り返し」なんじゃないかという結論に至りました。

 

話を戻すと、 アテネの空撮写真を見るに「恐らく農作物から発展した都市ではなく、それ以外のコンテンツを軸に発展していった都市なのではないか」と考えるようになったので「人が生きていくために食べ物が必要なので漁業かな?」とか何とか考えているうちにこちらのサイトと出会います。

 

wondertrip.jp

 

「 あー、、、貿易と宗教(神殿)と政治かー」とあっさり色んなものが解決してしまったのですが、ここまでの過程が自分にとっては超重要でした(╹◡╹)

 

都市によっては農作物以外のコンテンツを軸に発展したものもあり、その都市ではどういう順序でどんな建物が建てられていったのか?を掘っていくことで、多様なコミュニティの在り方、価値観を知ることができたからです。

 

アテネ以外の街も見てみる

matome.naver.jp

 

空撮写真を見ていると「何でこの都市はこんな形してるんだろう?」と疑問が湧いてきますよね。自分の場合は、まず何でも良いからその都市について知っている知識を無理矢理組み合わせて仮説を立てた後「都市の名前 起源」でググって出てきたサイトを見て回ります。そうやって、その都市は人の居場所としてどのような発展を遂げたのか、沿革を眺めることで多様なコミュニティの在り方を学ぶことができました。

 

メディアとしての都市

人が情報を運んでいた時代、都市は情報を伝達する媒体(メディア)としての機能も持っていたはずです。これまた気になって調べた所、コミュニティの語源はラテン語でcommune(共有財産、共同体)、communis(共有)からきていると言われており、元の意味は「共同の状態」だそうです。コミュニケーションも同じくここから来ていて「共有のものにする、(感情や思考を)伝達する」という意味だそうです。

 

コミュニティとコミュニケーションのルーツが同じであることを考えると、都市をメディアと見立てて誰が何を伝えていきたかったのか?考察しながら調べていくのも面白いですね。最近はトルコのように首都が移転された国の沿革を掘ってる最中です。そこにどんなメッセージが隠されているのか、まだ知らないことだらけだからこそ、新たな発見が楽しいです。

bushoojapan.com

 

ちなみに空撮写真では「ブルーモスク(@イスタンブール)かっこよすぎだろ!」くらいの弱い感想しか出ませんでした(╹◡╹)見てもらうとわかりますけどゲームの世界ですよこれ。是非行ってみたいですね。

http://www.tolgaoner.com/wp-content/uploads/sultanahmet-cami-wallpaper.jpg

http://www.tolgaoner.com/?attachment_id=6 より

 

最後に

朝?2時くらいに起きてしまって暇だったので3時過ぎから書きはじめ、気づけば朝6時になっておりました(╹◡╹)

 

最近ずっと考えていことをどっかのタイミングで言語化したかったので、こうして沢山の素敵な写真と共にブログ書けてハッピーです。ど素人がビビりながらフリー素材DLしたり、こんなサイト見て色々やったのですが、もし思いがけず人様にご迷惑をかけるようなことをしていたら教えて頂けますと幸いです。

homepage-reborn.com

 

では(╹◡╹)

天下無双と水

こんなブログを昨日書きました。

 

datsuburasagari.hatenablog.com

 

猫の話は大分先にならないとできないので水について書いていきます。水は2018年からしばらく自分のテーマになってくる言葉だと感じています。

 

「変わり続けることを変えない」

 

2016年から言葉を変えてようやく辿り着いたシンプルな解。自分は水のようになりたかったんだなーということに気づかされたのは愛読書「バガボンド」を実家で読んでいた時でした。

 

jack24bowwow.hatenablog.com

 

だいもんさん素敵なまとめありがとうございます。バガボンド愛読者の1人としてここまで簡潔で、でも要所を外すことなくまとめて下さったことに勝手に感謝しています。

 

あまりネタバレ的なことを書くのは気が引けますが、超ざっくり話すとバガボンドとは宮本武蔵の話で彼は天下無双を目指しひたすら強い人を斬り殺します。ある時、世の中で天下無双と呼ばれる人に会いに行くのですが、その人から「天下無双とはただの言葉だよ」と言われてしまいます。「ただの言葉ってどういう意味だ?」と思い悩みつつ、それでも人を斬りまくる武蔵。そこにある御坊さんが追い打ちをかけます。

 

「お前の生きる道は これまでもこれから先も 天によって完ぺきに決まっていて それが故に完全に自由だ」

 

「いやいや、決められてたら不自由極まりないじゃないか」と武蔵。僕もここまでは全く同じことを思いました。ていうか武蔵はイチイチ人から言われたことに振り回され過ぎてて結構かわいい奴なんですよね。

 

そんな武蔵はある日、流れる川を眺めていて気付きを得ます。

 

※mkt_33さん、akiruno_lifeさん、素敵なまとめありがとうございます。感銘を受け引用させて頂きます(何かあればすぐに消しますのでお申し付けください)

 

mkt-33.hatenablog.com

akiruno-life.hatenablog.jp

 

急な勾配、狭い川幅、速く鋭い流れ
地形によって、外からの力によって、水のありようは完全に決められ
水自身はただそれに従っている
外からの力によって、ありようは完全に決められ
それでも水は水、どこまでも水
完全に自由

 

川に流れる水をすくって手中にある水を眺める武蔵。水の形は外の力によって完全に決められてしまうが、それが故にどんな形にもなれる。武蔵が探し求めていたヒントはここにあるんじゃないかと思うわけですね。後に彼が1643年から1645年にかけてまとめあげたと言われる「五輪書」には剣術の奥義が記載されており、水之巻という変幻自在を本意とする戦い方が記されています。

 

天下無双とはただの言葉であり、この世に存在しないもの。なぜなら天下無双を証明したければ自分以外の人間を全て切り倒さなくてはいけないから、そんなことは不可能であり、仮にできたとしてもその時には自分のことを「貴方が天下無双です」と認めてくれる人さえいなくなってしまう。この辺りから武蔵は世の中に存在しないものを目指すことは理(ことわり)が無い、つまる無理な行為であると悟るわけです。 

 

僕に置き換えて言うと、特段何かを目指してやってきたわけではないので彼ほど強いエゴは無いんですが、29年間生きてきて培ってしまった固定概念や「こうあるべき」みたいな考え方はやはり存在するわけです。まあこういうのは誰にでもありますし、その考え方があったからこそ上手くいった場面もあるので一概に悪いものではないと思いますけど。

 

ただそれがチームの中で常にうまくワークするかと言うとそうではなく、当然別の価値観や考え方を持つ人だっているわけですよね。そうなった時に「変わり続けること」を選択できるかというのは大事になってくる気がしています。

 

「変わり続ける」というのは360度網羅することではなく、自分の中で絶対に何があっても変えられない価値観とも向き合った上で、それ以外の部分に柔軟性を持たせるというニュアンスです。どう考えても僕は青系の色が好きだしパクチー食べれないし、そういう部分まで含めたら変わりようがないじゃないですか。なので、まずは変えられる部分だけでも水のように柔らかくしていこうという気持ちの表れでした。

 

水から得た自分のインスピレーションを言語化していく過程で中学生ぶりに方丈記を読んでみたり、色々な人のブログを漁ってみました。一周してバガボンドに戻ってくると、水のように変わり続けるようとすることで人は自分の中の変われるものと変われないものに気づき、自分の不完全性を受け入れた状態で侘び寂びていく。その繰り返しによって「天の下に双つと無いもの」になっていくのではないかなと思いました。つまり天下無双とは、自分が自然体として自分であることであって、心の持ちようで誰もがなれるものなのではないかなーと。

 

最後は右脳で読んでくださいw

ありがとうございますした^^

水と猫

自分が信じる「より良い道」に向かって自ら変わり続けることを変えない。

 

これが自分のモットーです。最近は端折って「変わり続けることを変えない」と言ってますが、もともとは2017年のテーマに「常により良い自分になる」を掲げた時から基本的な考え方は一緒です。

 

その年のテーマを考え出したのは2016年頃からで、きっかけは2015年の年末に行ったLA旅行でした。グランドキャニオンに行く道中が暇過ぎてぼーっと景色を見ながら今までの社会人生活や転職してからの変化などを考えていて、今はどこに向かう旅の途中でこれから先どこに向かうんだろうかと、そんなことをふわふわ考えてバスに揺られた数時間を覚えています。

 

グランドキャニオンは自分が見てきた景色の中でもっとも「壮大」という言葉が似合う眺めで、何層にも重なった地層がとてつもないオーラを放ち、立っているだけで強烈なメッセージを浴びせかけられた気持ちになりました。

 

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良い時も悪い時も我が身に起きたことを受け入れ、風や水に削られながらその寂びていく経過を隠すことなく、数億年経った今も全力でグランドキャニオンとしての存在を全うする威圧感

 

と言っても「何言ってんだこいつ」ってなると思いますが、あそこに立つとそういう威圧感と向き合わざるを得ないというか「お前は自分の人生にそれだけ覚悟持って生きてんのか」と語りかけられているようで、倒されそうになるような、ずっとそこにいて地平線を眺めていたいような、不思議な気持ちに駆られました(そもそも地層に感情はないので良い時も悪い時もないんですけど)

 

自然体でいる強さ、飾らない姿勢のしなやかさ、寂びていく(わびさびの寂びです)過程においても全力で存在証明し続けるエネルギー。一瞬にしてあれだけのメッセージを浴びせかけられると、その場にただ立ちすくむしかできなくて座りながらゆっくり会話したい気持ちになります。

 

タイトルに書いた「水と猫」とは2018年からしばらく自分のテーマになるであろう言葉です。多分来年には「華」が加わってると思います。すべてにおいて大事なのは自然体であること。自分を偽らないこと。

 

そんなことをつらつら書いていこうと思っています。

「課題主語」から考える仲間論

こちらの続きです。

 

datsuburasagari.hatenablog.com

 

カルチャーとは同調圧力の一種であり、本来は何かしらの課題を乗り越えるために生まれた“空気感”だとすれば、それをアップデートすることで次なる壁を乗り越えていけるのではないか、という話を書きました。思ってることを適当にがーっとブチマケタだけなので今日はもう少しだけ丁寧に書きます。

 

つい最近までうちの社内では「自分主語」「組織主語」という言葉を耳にする機会が多くありました。「自分主語」とは、言ってしまえば自分を中心とした思想。自分がこうしたいという主張ばかりで、それ自体はとても大切なことなんですが、行き過ぎてしまうと仲間を思いやれていなかったり「それお前が楽しいだけじゃん」という考えになりがち。その対義語チックに使われていたのが「組織主語」「VG主語」という言葉で、要は会社全体のことを考えた時に何が正なのか、という視点です。

 

個も組織も大事なので結局はバランス論。どちらが一方的に良い悪いではない。とすれば、何か違う言葉はないかなーと思って最近僕が勝手に言いだしたのが「課題主語」という言葉です。うちで言えば様々な事業部(子会社)があるのですが、それぞれが身を置く業界の本質的な課題は何か、 理想状態は何か、理想状態に近づけるために僕らの強みをどう生かしていくのが良いのか。そんなことをひたすら考え、行動していくというのが「課題主語」の言わんとすることです。

 

当たり前じゃねーかって話なんですけど、本当の意味でユーザーやクライアントを見て仕事してる方ってどれだけいますかね。ちなみにこの考え方は前職でお世話になった2人の先輩から頂きました。当時まだ僕が1年目で先輩たちは27-8歳だった頃だと思います。「内じゃなくて外見て仕事しようぜ」が僕らの合言葉で、今でもその教えがガッツリと染みついています。

 

ここでいう「課題」とは

・社内ではなく社外にあるもの

・定義された理想状態に対して今不足しているもの

というのが超重要です。

 

多くの人が陥りやすいのが「不足しているもの=課題」という考え方で、じゃあ水泳選手にとって足遅いことは課題なのかっていうと違うじゃないですか。だから「理想状態が何か」という文脈の中で今足りていないものを明確にして、どういう時間軸でそれらを埋めていくのが良さげなのかを議論していくことが大切なんじゃないかと思うわけです。

 

 

そんな感じで同じような課題意識を持つ仲間が集まると、カンパニーが生まれます。

 

www.quicktranslate.com

 

今回ブログのタイトルを「組織論」ではなく「仲間論」にしたのは、カンパニーの語源から考えていくと「組織論」はなんか固いなーと思ったから。そもそも「Society」も明治時代に「仲間連中」なんて訳されてましたからね。こっちのがゆるくて好きだぜ(╹◡╹)

 

僕が「課題主語」の考え方を推す理由は、ヒトではなくコトを見て話ができるからです。つまり市場における理想状態と現状とのギャップを埋める良い施策を考えて実行した人がスバラシイのであって、よくある「(社内でえらい)誰々さんが言ってるからやろう」みたいな発想から脱することができると考えています。まあその誰々さんの意見がスバラシければ1mmも問題ないです。ただ常に正しいこと言う人なんて世の中にいないんで、本質的な課題に気づいて「こうあるべきじゃね?」って言った人、それに対して実行した人に等しくスポットライトがあたるチームが良いなーと個人的には思ってます。

 

なんかこのまま書きまくってると「一神教的村社会論」と「コミュニティ論」に突入しそうなんで、今日もまたこの辺りで。

 

最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございましたmm

生存戦略とカルチャー

ベンチャー界隈では」なのか、会社内のカルチャー(文化)形成に力を入れている企業は多い。かくいう弊社の親会社はその中でも特徴的なカルチャーを有しており、転職してきたばかりの頃は独特の風習に驚かされた場面も多々あった。これは僕だけでなく、転職組と話してるとよくそういう話は聞く。

 

カルチャーとは何か。今回はカルチャーの正体を自分なりに言語化して、色々思ってることを自由に書いてみようと思う。

 

さて、いきなり結論を書くと、カルチャーとは同調圧力の一種であり、他にもマナーや“場の空気を読む”などがこれにあたるというのが僕の考えである。

 

同調圧力 - Wikipedia

同調圧力(どうちょうあつりょく Peer pressure)とは、地域共同体職場などある特定のピアグループPeer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

 

“空気を読む”については水野敬也さんが過去に著書「LOVE理論」の中で解明しており、空気とは「その場を支配するキーマンの気分」である、と定義した話は結構有名。

 

同調圧力の様な“空気感”はどこでも発生していて、人は簡単にその空間と周りの人から影響を受けて行動する。その証拠に渋谷のハロウィンでバカ騒ぎして平気でポイ捨てしまくる人でもディズニーランドに行けばそう易々とポイ捨てできまい。つまりそういうことだ。

 

同調圧力と書いてしまうと何やら悪いものと捉えられがちだが、その場における“空気感”程度のニュアンスで受け取ってもらえれば良い。少なくとも僕はそういう意味でこの言葉を使っている。

 

僕らはその場(建物など、空間)からも影響を受けるし、そこにいる人たちによっても影響を受けている。この前、とある打ち上げで社内のメンバーと六本木のあるお店に行ったわけだけど、到底あの場で騒いだりアホみたいなことはできないし、それは空間と、いる人の雰囲気でそうさせてるんだなーと思った。

 

窓から入ってくる光の加減から感じる解放感、部屋全体を流れている風、ピアノの演奏、装飾品の色、部屋全体を包み込むバラの香りなど、少し意識するだけで五感が様々な情報を感じ取ってその場に相応しい振る舞いにさせてくれた。もちろん良い意味でだけど、こういう現象は「空間の圧力を受けている」といって差し支えないと思う。

 

会社のカルチャーとは、その空間と影響力の強い人たち(多くの場合は昔からいて役職ある人たち)によって形成された同調圧力であり、恐らくは会社が過去何かしら壁を超えたい時に行動指針となるような言葉をクリードやらクレドといった言葉で定義したり、評価制度とセットで社内にその空気感を浸透させていっているところが多いのではないか。

 

この様に今抱えている課題感や、今後目の前に現われるであろう壁を乗り越えるために、その空間にいる人たちの価値観をアップデートする意味でカルチャーを操ることができるというのは、組織の生存戦略として正しいように思える。度合は異なるけど「仮想敵」を作って民意を操る政策だって似た側面を持っているからね。

 

大事なのは価値観をどうアップデートしていくか。その当時、最善だと思ってみんなで頑張って作った空気感を新しくするのは、ともすると過去を否定することになるんじゃないか。そういう不安に駆られる人は少なくないと思う。

 

その辺に対して思うことはまた近々書いてみよう。今日はこの辺で。

集中力3要素のうち「長さ」と「深さ」は鍛えられると思うっていう話

 

長さと深さは鍛えることができると思います(「早さ」は残念ながら今の自分にはわからないですゴメンナサイ)

 

僕の場合、自己評価だとこんな感じでしょうか。

・早さ(普通かそれより遅いくらい)

・長さ(かなり長くいけると思う)

・深さ(そこそこ深くいける)

 

「長さ」と「深さ」を鍛えるには質問の数がモノをいうと思っていて、僕の場合は大学1年の時に勝手に鍛えられた気がします。

 

具体的な実体験をもとに振り返ってみます。当時ラクロスというスポーツをやっていて、4月入部の9月からゴールキーパーを始めました。

 

www.youtube.com

 

ラクロスはくっそ固い球が140~150km/hで飛んでくるのですが、ゴールキーパーを始めたばかりの時は身体は動き遅いし、球速くて目で追うのがやっとだし・・・で散々でした。

 

その時に考えていたことは「いかに球が飛んでくるコースを予測するか」です。身体を速く動かす訓練は恐らく反復がモノを言う世界なので長期的に取り組むことに決めました。球が飛んでくるコースさえわかれば経験が浅い自分でも楽にセーブできると思ったのです。

 

もともと野球をやっていたので、球を投げる時のリリースポイントと球が飛ぶ軌道についてはある程度理解していました。モノを投げるというのは円運動なので、ざっくり言えば右利きの人が上から球を投げる場合、早くリリースしたら右側・上にボールが飛ぶし、遅くリリースしたら左側・下に飛びます。

 

ラクロスは野球のスライダーやシュートと違って、人差し指の左側にひっかけたり、中指の右側を滑らせるようなことはできません。基本的にクロス(網)を通った軌道上に球が飛ぶ仕組みになっています。

 

そのためクロスの軌道が読めればボールが来ない場所が限定されて、シュートコースが読みやすくなります。結論から言えばクロスを持つ下の手の肘を見れば大体予測できるのですが、今はそんな専門的な話はどーでも良くて、この「仮説検証プロセス」に集中力を鍛えるヒントがある、というのが本題になります。

 

あるテーマに対して複数の側面から質問を浴びせ、実際に行動する前の仮説と、行動後の結果を検証します。何かしらの乖離が生まれた時、なぜ乖離が生まれたのか、原因は何か、もう一回やっても同じ結果か、すぐ改善できるものは何か、など更に様々な質問を自分に浴びせかけることができます。こんなこと考えてたら、勝手に集中力は長く保てるようになるし、物事を深く掘り下げる力もつくと思うんですよね。

 

僕の場合は探究心が強い性格なので勝手に色んな質問が湧いてきました。なので「長さ」と「深さ」を鍛えるのにそこまで苦労はしていない、というのが正直な話です。ただ、もし別のアプローチがあるとしたら~という点で最近思っていることを続けて書きます(まとまってないですw)

 

過去、自分が寝食忘れるレベルでハマったことがあれば、その体験を思い出してみてください。

 

ゲームをしてる時?

何か楽しみなイベントの計画を練ってる時?

 

どんなことでも良いと思います。寝食忘れてなくても、何かに一番夢中になってた時のことであれば大丈夫です。大体の場合、人が何かにハマる時間はこの4要素のどれか、もしくは複数が含まれているんじゃないかと思うわけです。

 

・わからなかったことがわかる

・できなかったことができる(成長実感が得られる)

・何かを作っている

・点が線になる(ある事象が別の分野でも起きていることに気づく、みたいなw)

 

どの要素があると自分はハマりやすいのかわかれば、次はどういう時に嬉しいと感じるのかも考えてみるのも良いと思います。

 

例えば「料理を作るのが好き」で「誰かに美味しいと言ってもらえると嬉しい」なら、食べる人にとって美味しい料理とは何か?考える時間も集中力は使ってるし、実際に作っている最中も多分色んなこと考えて料理すると思うんですよね。なので必然的に集中力は「長く」なるし、食べた相手のことを考えて色んなこと考えるから「深く」もなる。

 

自分が嬉しいと感じることと、上の4要素を絡めて何かをすると、きっと好循環が生まれて楽しく集中力が鍛えられると思います^^

 

ちなみに「悩みやすい」というのは思考体力がある証拠です。集中力の「長さ」があるということですね。悩みを解決できる公式を沢山インプットすれば悩まずに解決できるんで、考えた時間の分、解決策が浮かぶようになるはずです。

 

これも訓練次第でできるようになるので、またどっかで書きます。

 

では!

ルフィの弱さと「リーダー2.0論」

ONE PIECE」という任侠漫画におけるルフィさんの弱さについて学ぶものは多い。

 

彼は圧倒的な戦闘力を誇り数々の難敵を叩きのめす一方で、それ以外のことがほぼできない。飯作れない、航海術も知らない、医学の知識もない。よーこれで海に出ようと思ったなっていうレベル。つまり個体として戦闘力は強いけど海を航海する者として必要なスキルを身に着けておらず、放っておけば餓死するんじゃないか?と多くの読者に心配されてしまうお方なのです。

 

1人で日常生活を生き抜くことができない代わりに、戦闘という非日常行為において最高のバリューを発揮するルフィさん。そんな彼は多くの優秀な仲間に支えられて日常生活を送っています。これが今回の本題なんだけど、落合さんの「リーダー2.0」論を聞いた時に真っ先に頭に浮かんだのがルフィさん。

 

newspicks.com

 

ルフィさんは圧倒的に専門バカ(戦闘力のみ特化)だと思います。もちろん良い意味で。そして自分にできない領域は仲間に助けを求める潔さがあります。これすごい大事。

 

自分にできること・できないことを正しく認識して、できないことはできる人に頼る。そして「自分にできないことができる人」に惜しみない称賛を送る。文章にすると非常にシンプルだけど実社会において体現できている人を見かける機会は少ないので、自分が体現することはもちろん、貴方にとってリーダーにあたる人に体現させてあげることが重要になってきます。

 

個人的には「専門バカ」っていう不完全性が認められる社会の方が多様性あって、自分にも他人にも優しい世界だなーと思っています。「完璧な人はいない」と言うと大体の人が「そりゃそうだ」ってなるのに実社会においてリーダーに完全性を求める人が多いのっておかしいじゃない。目指したい人は勝手に目指せば良いんだけど人に求め始めると色々辛くなるのでオススメはできない。

 

ちなみに僕はラクロスゴールキーパーに関する領域に関して圧倒的な自信があります。他のことは知りません。

 

では^^

体育会人材の本質的な良さはそこじゃないと思うんだよな

僕は大学の4年間をラクロス部で過ごしました。

 

出身学部は商学部ではなくラクロス部だ!と言っても過言でないくらいグランドで過ごした時間は長く、そこで得た学びや他大学との交流で生まれた友人関係は、卒業して6年経った今でも自分自身に強い影響を与えています。

 

この前、同世代のラクロス友達と話していて「一時期ラクロス部が企業から一番人気の部活だ~みたいな記事あったけどあれって今もそうなの?」と聞かれました。確か2013年頃のダイヤモンドでそんな記事あったような。「今も一番人気かはわからないけど皆一般的に言う良い企業には入っていくよね」という当たり障りない返しをしたものの、少し気になったので「ラクロス 就職 人気」で調べて一番上にきた記事を見てみることに。

 

www.sankeibiz.jp

 

 まあまあまあ。。。

 

順位変動はそりゃあるだろうし、それは気にならないのでどうでもいいです。気になったのは書かれている内容。いや、この記事がどうというより昔から同じようなこと言われてるんですわ。体育会学生は礼儀正しくて心身共にタフでコミュニケーション力があって人脈が~などなど。

 

 

表面的にはな。

 

 

僕が思う体育会人材の本質的な良さは「問題解決能力の高さ」です。厳密に言うと、ある一定レベルに達したアスリートには大体備わっていて、アスリートとして上手くいかなくても、それ以外の部分で高い組織貢献を果たした人には大体備わっています。

 

一定レベルを超えてくる人はスポーツ科学の正しい理論を理解して体現できる人か、自分の身体能力を分析して「自分」という個体の能力を最大化させられるような技術を身に着けた人か、相手の嫌がることを徹底的に研究して体現できるようになった人か、もしくは複数を兼ね揃えている人で、このレベルになろうとしたら自分に対して様々な角度から質問をぶつけてオリジナル練習法を編み出さなければなりません。

 

だから質問力が高いのは当たり前で、むしろそれが無ければ自分の能力を向上させることはできないし、長く良い選手であり続けることはできないと思います。当然、組織への貢献も果たせません。

 

ちなみに質問力の高さとは瞬発的に良い質問ができるという意味ではなく、ある程度時間をかけながら「こういう場合はどうしよう」を考え続ける思考力があるということです。表面的なコミュニケーションスキルの高さとは関係ありません。中田英寿さんやイチロー選手の言葉に深みがあるのは、目の前の課題を乗り越えるためにあらゆる角度から質問を浴びせかけ、実際に身体を動かしながら仮説検証しまくってきたからでしょう。単に身体能力だけで勝負している人ではないことは誰もが理解していることだと思います。

 

これはスポーツ選手に限らず、ある一定レベル何かに本気で打ち込んできた人に通ずる能力な気がします。

 

どんな分野でも、秀でた成果を出そうと思えば周りと違うことをしなければいけないし、そのために何をすべきか考え、実験して、修正してを繰り返す。その過程において「問題解決能力」が磨かれるわけで、その辺を体育会人材と言われる人たちにちゃんと伝えていきたいなーと思ったり。

 

強みをどの深さで定義するかって大事だよねっていう話はまた別の機会に書きます。

 

では!

10代の頃のセンスを捨てられるか

10代の頃のセンスに頼って生きている同世代が苦しんでいる姿を最近よく見かける。

 

彼らは人より早く答えを導く能力に長けてる。恐らく幼少期から学校でもそんな感じだったのだろう。周りよりも理解力に優れ「あいつらがなんでわからないのかがわからない」状態を過ごしてきた人たちなんじゃないかと思う。無論、自分は「あいつら」側の人間である。

 

10代の頃に感じたセンスの良さをもう少し言語化すると「一般解を素早く出す能力に長けている」ということかもしれない。答えがあるテスト、一般論を教え込まれる学校教育において無双できるスキルだと思う。

 

そんな無双連中が20代後半で悲鳴を上げている場面をよく見かける。その多くがベンチャー界隈で働く友人たち。体育会時代の仲間で大手企業に行った人たちはまだ大丈夫。多分これから先も。

 

なぜ彼らのようなセンス溢れるビジネスマンが悲鳴を上げるのか。そのヒントはこの本に書かれている。

センスは知識から始まる

 

少しだけネタバレを。 

 

“「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である”

 

“センスとは、さまざまな知識を蓄積することにより「物事を最適化する能力」であり、誰もが等しく持っている。”

 

全てがここに集約されている。

で、ここからが結構重要。

 

自分が「10代の頃に感じたセンスの良さ」は「一般解を素早く出す能力に長けている」ということ。水野さんの言う「物事を最適化する能力」と似ているようで圧倒的に違う。

 

「10代の頃に感じたセンス」は予め用意された解に早く辿り着けるというもの。言っちゃうと一般解が用意されたフィールドにおいてのみ無双できるスキルなんです。このスキルは20代中盤くらいまではそこそこ役に立つ。社会人になって色んな仕事の基礎を固める上で、同期より吸収速度が速いことがそれなりのプレゼンスを誇る時期もあるでしょうし。

 

そんで20代中盤~後半がベンチャー界隈でどういう時期かというと、それなりに社内で評価されて昇格・昇進したり、会社の総会で表彰されたり、後輩が出来てチームを任されるようになったり。「まあ俺だしね」と勘違いの極みに達する時期でもある。

 

 

さて

 

この先に一般解はあるのだろうか。

 

先に言っておくと10代のセンスで解ける問題はあまり多くない。学校で教える一般解は凡人製造論でしかなく、若い頃から突き抜けた成果を出したい人にとって一般解ほど無意味なものはない。TVに映るトップアスリートたちを見れば一般解を突き破った存在であることは簡単に想像つくはず。

 

そんな時は「知識の蓄積」に走ろう。僕が社内でよく言うワードで言えば「公式のインストール」。これ超重要で、水野さんの本は10代のセンスで躓いた20代中盤~後半の同世代に強く薦めたい。

 

ただ、ここでも壁は存在する。。。。10代のセンスを捨てられない人にとっては、長い時間をかけて何かをすることが耐えられないのです。そうなったら優しく「乗り越えるか諦めるか選べ」と言いたい。いや、実際は諦める必要ないんだけど。時間かけて色んな人の話聞いたり本読んで知識を蓄積してればそのうち何か良いことあるよっていう。

 

20代後半からはある一定時間をかけまくれるとか、反復しまくれる能力の持ち主が日の目を浴びるシーンが増えてくるんじゃないかと思う。好きなことに没頭しまくって同じことを無限回やれる人とか超強い。

 

 

書きたいことは以上なんだけど、最後になんで体育会時代の仲間で大手企業に行った人たちが大丈夫なのかも補足しておくと、そこにはまだ一般解(らしいもの)が存在するからっていうのと、一般解が無い中で意思決定を迫られる立場にいく人が少ないからです(既にその少数派で見事に成果出してる友人もいますが)

今日までずっと

自分を支えてきてくれた言葉があります。

 

「きっと穣は大器晩成型だから。今がダメでも人より練習してたら絶対に上手くなるよ。人より練習すればな。」

 

中学2年の時、所属していた野球チームのコーチからかけてもらった言葉です。14歳の自分はこの言葉をきっかけに少しずつ変わっていくことができました。

 

小さい頃から走るのが遅くて運動は全般的に中の下かそのあたり。勉強は学年で下から数えた方が早く展覧会の作品もセンスなし。取り柄らしい取り柄がほとんどないまま僕は14年間過ごしてきました。

 

14年間もそういう状態が続くと多分ほとんどの人は「自分てダメな奴だなー」と思ってしまうでしょうし、当然自分もそうでした。特に僕の場合は姉が3人いて、皆できる人たちだったが故に余計その考えは強かったと思います。

 

長女は高校までずっと理系の成績がトップでそのまま国立の大学へ。次女は英語ペラペラで学生時代に世界一周したりカナダ留学するような感じの人。三女は姉弟で最も運動神経が良く、小さいころから陸上の大会に出るなど。3人とも素晴らしい才能の持ち主でした。

 

持って生まれた物レベルで言ったら天と地の差。本当に同じ両親から生まれてきたのか疑うレベルだったと思います。野球チームのコーチはその辺の事情もよくわかっていて、僕が家や学校で怒られたんだろうなと思うといつも気さくに励ましてくれました。

 

「大器晩成だから今はダメなんだよ。ダメでも良いから人よりかは練習してみなさい。俺に騙されたと思って。」

 

「ダメでも良い」と言ってもらえたのは初めてだったので、とりあえずコーチの言ってることを信じてやってみようと自主練を始めました。結果が出るまでに時間はかかったものの、毎週手の平を見せて「うん、振ってる。合格。」と言ってもらえるのが嬉しくて素振りを続けたのを覚えています。

 

コーチはテストの点数や内申点も気にする方で、日頃から「学校の成績悪かったら試合出さないよ」と言っていました。人より練習すれば打てるようになったから、多分勉強も人よりやれば良いのかも。という単純な理屈で机に向かってるうちに、これも時間はかかりましたが学校の成績も伸びていきました。

 

これまでずっとダメだった自分でも、頑張り続けることで何か変われるかもしれない。

 

その感覚は当時の僕にとって唯一の光だったと思います。結果的に1年後には全員に無理だと思われていた第一志望の高校にも受かって、色んな人から奇跡だなんだと言ってもらいながら中学を卒業することができました。

 

それから紆余曲折経て高校を卒業。大学から始めたラクロスでは関東ユースに選んでもらえたり、主将としてチームを引っ張る立場を与えてもらえたり、最後のリーグ戦では関東2部のベスト12にも選んで頂くことができました。

  

まずは人よりダメな自分でも受け入れてみること。その上で自分の可能性を信じて努力を重ねること。そうすればいつか伸びるタイミングが来た時に、自分でも驚くほど大きく成長することができる(こともある)。そんなことを14歳から29歳まで、長い時間かけて学んできました。

 

ある時ラクロスの試合を見に来てくれた姉がこんなことを言ってました。

 

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最近になって僕と知り合った人にこの話をしたら、もしかして少しは驚いてもらえるかもしれません。14年間何をしてもダメで、自分のことが嫌いで、何をやっても怒られてばかりいた少年が、ある大人の一言をきっかけで少しずつ少しずつ変わっていった先に今の僕がいます。

 

そんな僕も今日からある会社の取締役になります。その会社ではこれから多くの若者に光を届けるサービスを展開していきます。3年半前に転職してきた時より、今の方がスタートラインに立ってる感がするのは不思議な気持ちですね。

 

僕は今の仕事を通じて、自分の可能性を信じることができず、自分自身を嫌いになりかけている「14歳までの僕」へ伝えたいことがあります。「14歳までの僕」は過去の自分という意味ではありません。あの時の僕と同じように気持ちが晴れない日々を過ごしているすべての人たちという意味です。

 

 

僕と同じやり方で誰もが変われるわけではありません。どれだけ継続していても伸びるタイミングは人によって様々ですし、下手したら数年かかるかもしれません。でも「始まった」感覚は始まった時にわかります。

 

まず大切なのは恐れず今の自分を受け止めること。小さなことから継続してやってみること。毎日注意深く自分を見ていればちょっとずつ変化していることに気づきます。

 

そして毎日自分自身と対話を続けること。話しかけたくない日でも、無視されても「今日は調子どう?」と声をかけてみてください。疲れて無気力な日も、二日酔いで動きたくない日もあります。そんな時は「この調子で行けそう?」という質問も有効です。「どこに行くの?」と返ってきたら会話成立。そのまま続けてみてください。あ、休憩はへとへとになる前に取りましょう。

 

 

ノラリクラリで良いから何かを続けたり、自分と対話し続けることできっかけを掴むことができるはずです。やってるけどよーわからんって人は個別で連絡下さい笑。

 

今はまだスタートからゴールまで一緒に伴走することはできないけど、この道の先でまた会えるのを楽しみにしています。

インプットと練習

かれこれ20年以上スポーツしてきてるんですが、スポーツ選手で練習しない人っていないじゃないですか。常に試合だけしたいです、みたいな人。身体動かすのが趣味ですっていう人ではいるか。でも僕の中でのスポーツ選手の定義からは外れるので置いておきます。

 

週末の草野球とかでも一定レベルになるとみんなめっちゃ練習してるし(自分の地元の友達とかは)、基本的には試合で勝つために自分をレベルアップさせる行為が練習なわけで、ここを疎かにしたら勝つことを放棄していることと同義だと思うんです。

 

それで、これもある程度スポーツしてた人ならわかると思うんですが、戦略って基本的にこの4つからどうバランスを取るかで決まっていくものなんですよね。

・自分たちの強みを最大限生かす

・自分たちの弱みをカバーする

・相手の弱みを突く

・相手の強みを抑える

※とてもシンプルに書きましたが実際は点差、時間帯、試合の流れ、選手の士気を読んで采配するのでめっちゃむずいです。

 

実力のあるチームになればなるほど普通にやりゃ勝てる状態になるので、自分たちの強みを最大限生かすことだけに注力できるようになります。逆に弱いチームほど奇をてらった作戦を実行しないと勝てない場面も出てくるわけで、野球で言えば野村監督がそういうのめっちゃ上手かった印象があります。これはこれで名指揮官の存在が際立ちますよね。

 

仕事に置き換えていうと、日々僕らって試合してるわけじゃないですか。何かしらアウトプット(価値提供)してその対価としてお金を頂いているわけで。じゃあ練習いつしてんの?って話になるんですよね。

 

もちろん日々の仕事の中で学びはあります。試合の中で活かせる技術と出会えるように。これはスポーツでも同じ。じゃあそれを反復して身体に馴染ませようとか、練習段階でそういう技術と出会うには何が必要だったのか考えるとか、めっちゃ大事だと思うんです。

そのためにはインプットだろうと。やっぱり世の中で活躍してる人を見ると持ってる情報量が違う。例えば自分が仕事中で得た「良い気付き」が、既にある本で書かれていたとしたら。その本の著者は自分の進みたい方向性の先駆者で、もしかしたらこれから自分が欲しい気付きを既に持っている人かもしれない。であればその人の書いた本を片っ端から読んでいくとか、インタビュー記事なり動画を見まくれば良い。

 

何が書きたかったか整理すると

・強い人、組織ほどシンプルな戦略で戦って勝てる。

・スポーツ選手でいう練習は、僕ら一般的なビジネスマンに置き換えると情報のインプットだと思う。

 

って話でした。今年はこの辺意識しながら動いてこー。

 

等身大で勝負する

色んな場面で大切だと思うことです。

 

そもそも等身大で勝負できないような自分にしておかないことが大事で、強い身体&体力に加えて技術があれば精神は揺らがないという。一流のアスリートたちが言うような体>技>心の順番で磨いていきましょう理論ですね。

 

等身大でいること、飾らない自分でいること。その状態でいかに高いパフォーマンスが出せるか。長く良い状態を持続させるために必要なことは何か。ずっと昔から考えていたことでもあり、最近また考え始めたテーマでもあります。

 

早くに「その場しのぎスキル」を身に着けてしまったが故に、人や物事と膝を突き合わせて深く対話する能力が身につかなくなってしまうのは勿体ない。

「うるせェ!!!いこう!!!」と言えるかどうか

自分の周りだけか、一時期やたら「コーチング」にハマる人がいました。

知識や経験を一方的に教える「ティーチング」との比較で語られることが多く、「コーチング」は双方向なコミュニケーションを通じて相手の中にある潜在的な言葉や解決策を見出していくという手法です。

※色んな定義があるのでここではニュアンスが伝われば良いです。

 

守破離に則っていけば、何事もある一定はまっさらな状態から正攻法を学ぶ「守」の時期で、ここでは「ティーチング」がモノを言うでしょう。なにせ何が正しい方向なのかもわからない状態なわけで、そんな人相手に潜在的な解決策を引き出すも何もないですよね。基礎を固めるためにはまず先人たちが築いてきた勝ちパターンを学ぶ必要があると思います。

 

一方で「コーチング」は「型を破る時期」になった時に初めて効果を発揮するんじゃないかと思います。どんな方向性に突き抜けていくのか、自分のやりたいことと、できることが食い違ったり、周りから求められてるものを考えていくうちに答えが見えなくなってくる時というのは、誰でもあるんじゃないでしょうか。そんな時に自分の心の声を引き出してくれる人の存在は有難いですよね。

 

ただ「コーチング」の「引き出す」という側面だけを見ると、本人がナリで行ける場所まで到達するお手伝いに過ぎないのではないかと思ってしまうし、実際そういう側面もあると思っています。

 

だけど仮にその人よりもその人自身の可能性や成長を信じることができれば。「うるせェ!!!いこう!!!」と言えるんじゃないかと思うわけです。このセリフは ワンピース十七巻より、海賊になりたいけど様々な葛藤があって悩んでいるチョッパーに対してルフィが言うセリフです(めっちゃざっくりした説明)

 

「うるせェ!!!いこう!!!」は、うるせえといこうの間に(俺たちと一緒に)というワードが入っているように思います。かなり丁寧に言い換えれば「色々あんのはわかるけど絶対こっちの方が楽しいから、とにかく俺らと一緒にいこうぜ!」といった感じです。

 

「ティーチング」も「コーチング」も相手の置かれているフェーズにおいて有効な施策であることは間違いないですが、僕の会社ではこの言葉を言える人を増やしていきたいと考えています。なぜならこれが言える人というのは 「相手よりも、その人自身の可能性や成長を信じることができる」からです。「リーディング」という表現が適切かわかりませんが、これが言える人は、相手が思ってるよりも遥かに高い次元に導いてあげられる人な気がします。


「うるせえいこう」人材、増やしていきます。まずは自分から。

 

ブログ再開したんですけど

人のブログ読むのが面白くて色んな方の記事読み漁ってました。

着眼点、言語化能力、文章構成力、その他あらゆる能力の結晶が記事になってる感じ。もう読んでるだけで圧倒されます。うおーってなる。

 

思えば昔からスポーツ選手のインタビューとか、その人が発した言葉から学ぶことが多かったような気がします。その人のモノの見方、考え方、感じ方は自分とどう違うんだろう?なんで違うんだろう?そんなことをよく考えていました。

 

だからなのか「サルでもわかる!できる人に共通してる〇〇シンキング」系の本あるじゃないですか。あそこから学ぼうと思っても全然ダメ。ノウハウ教えます系の本は1mmも頭入ってこないので苦手なんです。

 

多分、自分にとって「人」由来の説得力が大事なのかもしれません。この人が言うならっていうやつです。面白いと感じる本は文章自体が面白いので、コンテンツから入っても書いた人の考えを理解しようとします。これだけのことが書ける人はどんな経験をしてきたんだろう、と。

 

人(発信者)そのものにリスペクトがある場合は最初から肯定的な受け取り方をしがちなので発言内容を注意深く聞くんですが、やっぱり内容も面白いやってなることが多いんですね。その回数が多いから自然とリスペクトしてるわけですが、そうやっていくうちに「この人の言うことは面白いし信じられる」ってなるんだと思います。

 

だからこの再開をきっかけに新たな師と沢山出会い、幅を広げていきたいと思ってます。

のんびり再開

眠らせてたブログをのんびり再開。

 一回書くのやめちゃうとダメですね。腰が重たいとはまさに。

 

土日に見かけて思わず数年ぶり(盛った。数か月ぶり)くらいにtwitterに投稿した記事について会社の日報でも軽く触れました。

自分への取材が人生を変える

はあちゅうさんの記事です。

絶賛就活悩み中の教え子にも「とりあえず読んどけ」と送りつけました。

 

日頃話していて「あースゴイなー」と思う人は、大概自分に対して日々色んな角度で質問をぶつけまくってる人であることが多い。そういう人はテレビ見ながらとか、本読みながらでも常に自分と対話してるんだろうな。いやいや俺はこう思う、とか、自分だったらこうだなー、とか。

 

自分の場合、取材された記事の公開先がないと絶対に手抜きしてやらないだろうなと思ったのでブログを再開したというわけです(この時点で自分のことよくわかってるわーとか思って満足するタイプ)

 

というわけで、のんびり再開します。