脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

俺とゆとり

これは俺と彼らの物語

俺は放課後、いつも校庭の隅で黙々と自主練してた。部活の全体練習も良いけど自分だけの得意技を磨いたり、下手過ぎて誰にも見られたくない技術を補えるこの時間が結構好きだったりする。

校庭にいる時間だけは長いから大体みんながどんな遊びをしてるのかもよくわかる。それを見て、楽しそうだなーとは思うけど俺には俺の目標があるから自主練に没頭するのみ。

ある日、何歳か下の学年で見慣れない奴が1人で遊んでた。何してるのかここからは見えない。みんながボール遊びとかで楽しんでる中、そいつは校庭の隅で夢中になって何かしている。俺みたいに部活の自主練してる風でもないし、明らかに変な奴だ。

もしかしてクラスでいじめられて友達がいないのかもしれない、とも思ったけど彼の遊びを邪魔するような奴もいない。ただ1人遊びが好きなのかな?ま、そういう奴もいるよね。

そいつと初めて話したのは俺のボールが彼の方に転がっていった時。名札を見て、心の中で勝手に名付けた「1人遊び君」から「1人遊び片石」に変化した。

 

「ありがと」

ボールを受け取りながら「1人遊び片石」に聞いてみた。

 

 「いつも1人で何してんの?」

「ここで絵描いたり詩書いたりしてる」

「へー、みんなと一緒に遊ばないの?」

「俺はこれが好きだから」

「そっか」

 

最初の会話はこんな感じ。

思ったよりハキハキ喋るし、少ないやり取りでも言葉に強さというか意思のようなモノを感じた。近くで見ると髪型も変だし、よくわかんないデザインの古着着てるし(そんな俺はずっとジャージだけど)、変わった感性を持った奴であることに変わりなさそう。

運動部の仲間はクラスにこういう奴がいるとバカにしたり、いじったりする。けど俺は片石のこの感じ嫌いじゃない。というかみんながありふれた遊びでワイワイしてる中、校庭の隅で自分だけの世界に浸って1人遊びし続けられるのって結構すごくない?ドッジボールも鬼ごっこも誰かが決めたルールに沿って遊ぶわけだけど、片石は自分の創り出した遊びを楽しんでる。この違いわかるかな。

後日談だけど、片石に言われて俺も自主練という名の「1人遊び」をしてたことに気付く。人を変な奴だと決めつけておきながら自分も同類だったとは。中々自分を客観視するのは難しい。初めて話した日から自主練の休憩がてら話しかけにいくことが増えた。

 

ある時、遂に「1人遊び片石」に友達ができた。友達の名前は松原。

「ドラゲナイ」と叫んでたミュージシャンと同じような服を着て、普段BUMP聴いてますって雰囲気の大人しそうな奴。ギターケース背負わせたらマジで似合うと思う。演奏できるかは知らんけど。

校内ですれ違った時、松原の名札の色で片石と同じ学年なのはすぐわかった。実は俺から声かけたんだよね。

運動部の怖そうな先輩からいきなり呼び止められたからビビらせてしまったかもしれない。あの時松原に声をかけたのは本当になんとなく。俺の直感で「1人遊び片石」と繋げたら面白いことが起きるかもって思ったのかもしれない。

 

「校庭の隅でいつも1人遊びしてる片石って奴知ってる?君と同じ学年だと思うんだけど」

多分こんな感じのことを言ったような。

松原は片石と違って自己主張をハッキリするタイプではなかった。でも人に合わせるのが上手いというか、「水」のようにその場に溶け込める不思議な能力を持っている。それに人の心の痛みに敏感で、自分以外の誰かに寄り添ってやれる優しい奴だった。

 

彼らはすぐ意気投合した。

今っぽいスマホ越しの「いいね」じゃなくて、自分の好きなことを夢中で話して共感してもらえることが彼らにとっては尊い出来事だったのかもしれない。もしかしたら自分の好きなことを誰かに否定されたり、バカにされたことがあるのかな。俺の想像でしかないけど。なんだかそんな気がした。

その日以来、俺は相変わらず自主練に明け暮れながらも、たまに2人のとこへ行って遊びを眺めたりだべったりしてた。その時間が好きだった。

 

彼らはいつの間にか自分たちと同じような人たちの居場所を作る遊びを企み始めた。

 

「好きなことを好きというたったそれだけの言葉が僕らには足りない。心が死ぬ前に好きの産声をあげよう。」

 

とかなんとか言ってたような。

はっきり言って運動部の俺には馴染みのない感覚だった。部活なんて基本的にはその競技が好きな奴が集まるコミュニティだし、どのチームや選手が好きかなんて日常的によく話す。好きなことを好きと言うことに勇気など必要ない場だから、最初のうちは彼らを苦しめてる「何か」の正体がわからなかった。

でも俺が毎日練習してるこの競技を誰かに馬鹿にされたり否定されたら、俺はそいつを嫌いになると思う。もしそいつが1人じゃなくて大勢だったら。つまりマジョリティから否定されることになったらどうなるか。そこまでいけばもう自分の感性を疑ったり、大袈裟に言えば「生き辛さ」を抱えて生きることになるかもしれない。

その生き辛さを振り切って校庭の隅で1人遊びに没頭できるような奴なんて一握りしかいない。多くは自分がマイノリティでないフリをしながら集団に溶け込むことを選ぶだろう。自分が自分であることを辞められないと自覚し群衆に背を向ける生き方も、それを押し殺して集団に迎合する生き方もどちらも苦しそう。なんだか主人公が左ききのあの漫画みたいなテーマになってきたな。ちなみに俺ら3人はあの漫画が結構好きだ。

俺は彼らのお蔭で「好きなことを好きと言う難しさがある」ということを知った。

 

ある日、状況が一変する。

学校内でも影響力のある先生が彼らの才能に気づいて、2人の感性とそれによって生み出される企みがどれだけ素晴らしいか「オトナ」の目線で解説し始めた。PTAとか、学内新聞を作る委員会もこぞって2人を取り上げて片石と松原は一気に注目を浴びた。

2人はいつかこういう日が来るのを望んでいたとは思う。「このままだと何者にもなれないかもしれない」なんてことをよく言ってたし。今思い返すとあれは自分たちを指して言ってたのか、そんな葛藤を抱える誰かについて言ってたのか。「臆病な秀才の最初のきっかけをプロデュースしたい」的なこともよく言ってたしな。誰かを救うと同時に心の底に刺さった釘の存在に気づいて欲しかったのかもしれない。

そんなこんなで校庭の隅に強烈なスポットライトが浴びせられたわけだけど、部外者の俺にはその時が来るのが早すぎたように思えた。あの時は本人たちもどこか無理してるというか、頑張ってそれっぽく振舞ってるように見えたし、ぎこちないって言えばわかりやすいかな。

気付けば校庭の隅には大勢の人だかりができて、それなりの規模のグループになっていた。部活の全体練習の時に邪魔だって文句言ったら、水泳部がないのを良いことにプールに秘密基地作ったりしてたっけ。

 

しばらく経った日の夜、片石から連絡が来た。松原が学校に来なくなったらしい。

片石は自分のせいで松原に無理をさせてしまったという自責の念と、こんだけ注目されてしまった以上は一緒にやってこうって腹くくったんじゃねーの?っていう怒りを抱えて俺の前に現れた。元々は一番の理解者だった松原を失って感情はぐちゃぐちゃになってたと思う。

俺からすれば片石も、松原も、2人を取り上げたオトナも、後からグループに加わった人も、誰も悪くない。2人を取り巻く環境の変化は速かったし激しかった。まさか誰からも見向きもされなかった校庭の隅の遊びがこんなことになるとはね。

俺はすぐ松原に連絡したんだけど返事がない。元々傷つきやすいタイプではあったから、気が向いた時にレスくれりゃいーやとのんびり待っていた。たしか10日くらい待った気がする。

松原は片石に対して申し訳ない気持ちもありつつ、オトナたちに注目されてから言動が変わった片石の話をしてくれた。実際のところ俺から見ててもその節はあった。まあ「そんなんよくある話じゃん」って感じだけど。信じてた人の本性が実は想像と違ったんじゃないかって不安はまあわかる。裏切られた気持ちを抱いていたのは松原も同じだった。

俺まで一緒になって片石の悪口で盛り上がっても仕方ないし、とりあえずこれからどうしようかって話に切り替えた。

 

ところでさ、失って初めて気付く大切さみたいな話よくあるじゃん。あの感情を抱く時ってレアケースだと思ってて、大概は失っても全然いけるわって気付くことのが多いと思うんだよね。健康とか本当に大事な人を除いて。

誰が抜けても組織は回るみたいな話もそうで、結局誰かの代わりを他の誰かが務めて日常は続く。実際はその人が居続けたら辿り着いたであろう未来のことをすっ飛ばして語られるケースが多いけど。これは俺の意見ってより、いわゆる一般論的な話だと思って欲しい。

自分が抜けた後にグループの拡大が加速すると惨めな気持ちになるよな。自分がいたはずの場所に誰かが座ってて、自分に向けられるはずだった拍手の音にボコボコにされてる感じ。けど抜けること選んだのは自分っていう。その事実がやるせなくさせる。

相手を応援したい気持ちと、足を引っ張ってやりたい気持ちと、自ら手を下さないけど失敗を願う気持ちと、色んな感情が渦巻いてたんじゃないかな。でもさ、簡単に手放せない感情ならそれは「失っても全然いける」存在じゃなかったってことだと思うよ、お互いにね。

 

同じ学校で同学年だし、あれだけ意気投合してたのであれば、きっと時間の問題で彼らは出会っていたと思う。俺が彼らを引き合わせたなどと思ったことは一度もない。でも出会うタイミングを早めたかもって思いはずっとあった。それが良かったのかどうかはわからない。

かと言ってまた3人で笑える日が来たら~みたいな能天気なことを言うつもりもない。

ここは俺のドライな部分でもあるんだけど、変わり続けるのが人間だから一度交わった点を線として継続させる必要はないし、自分であることを辞められないと周りに背を向けた君たちに予定調和なハッピーエンドを期待する方が無理な気がする。心が死ぬ前に嫌なものは嫌って言うのが君たちの「らしさ」だしな。

 

こうしてこの話の前半は片石と松原の決裂で幕を閉じる。

後半はまだない。

俺に未来を予測する力があるなら不要不急なんてワードが飛び交わなくなる日を当てられる。未来のことはわからないし、そんなのは石井ゆかりの占いだけにしてくれ。お、そういえば今日の星読みにはこんなこと書いてあった。 

 

「お互いに歩み寄る」ことのできる日です。どちらから仕掛けるかをうかがってから動く、といったまなざしは、今は必要ないようです。近づくことが必要だと思ったら、自分から動いてみると、ほぼ同時に相手も動き出しているようです。

 

これは俺の占いなのか、俺らの占いなのか。この話を書くの知ってるかのような結果だな。この程度の的中率はいつものこと。今更驚くことはない。

さっき未来のことはわからないって言ったけど、2つだけ言えることがあった。次3人で集まる日が来るとしたら、場所は池尻にある中華料理屋で、松原はいつも通り遅刻してくるってこと。しばらくは不要だし不急なんでやらないけどな。

集まっても何も起きないかもしれない。それはどっちでも良いや。でも後半がはじまったら、はじまった時わかる気がする。この言い回しは左ききのあの漫画のパクリだった。好きなワードなもんで使いたくなってしまう。

 

もしはじまっても、次は皆に気づかれないようにまたイチから校庭の隅ではじめようぜ。俺とお前たちの物語だから。