脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

10代の頃のセンスを捨てられるか

10代の頃のセンスに頼って生きている同世代が苦しんでいる姿を最近よく見かける。

 

彼らは人より早く答えを導く能力に長けてる。恐らく幼少期から学校でもそんな感じだったのだろう。周りよりも理解力に優れ「あいつらがなんでわからないのかがわからない」状態を過ごしてきた人たちなんじゃないかと思う。無論、自分は「あいつら」側の人間である。

 

10代の頃に感じたセンスの良さをもう少し言語化すると「一般解を素早く出す能力に長けている」ということかもしれない。答えがあるテスト、一般論を教え込まれる学校教育において無双できるスキルだと思う。

 

そんな無双連中が20代後半で悲鳴を上げている場面をよく見かける。その多くがベンチャー界隈で働く友人たち。体育会時代の仲間で大手企業に行った人たちはまだ大丈夫。多分これから先も。

 

なぜ彼らのようなセンス溢れるビジネスマンが悲鳴を上げるのか。そのヒントはこの本に書かれている。

センスは知識から始まる

 

少しだけネタバレを。 

 

“「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である”

 

“センスとは、さまざまな知識を蓄積することにより「物事を最適化する能力」であり、誰もが等しく持っている。”

 

全てがここに集約されている。

で、ここからが結構重要。

 

自分が「10代の頃に感じたセンスの良さ」は「一般解を素早く出す能力に長けている」ということ。水野さんの言う「物事を最適化する能力」と似ているようで圧倒的に違う。

 

「10代の頃に感じたセンス」は予め用意された解に早く辿り着けるというもの。言っちゃうと一般解が用意されたフィールドにおいてのみ無双できるスキルなんです。このスキルは20代中盤くらいまではそこそこ役に立つ。社会人になって色んな仕事の基礎を固める上で、同期より吸収速度が速いことがそれなりのプレゼンスを誇る時期もあるでしょうし。

 

そんで20代中盤~後半がベンチャー界隈でどういう時期かというと、それなりに社内で評価されて昇格・昇進したり、会社の総会で表彰されたり、後輩が出来てチームを任されるようになったり。「まあ俺だしね」と勘違いの極みに達する時期でもある。

 

 

さて

 

この先に一般解はあるのだろうか。

 

先に言っておくと10代のセンスで解ける問題はあまり多くない。学校で教える一般解は凡人製造論でしかなく、若い頃から突き抜けた成果を出したい人にとって一般解ほど無意味なものはない。TVに映るトップアスリートたちを見れば一般解を突き破った存在であることは簡単に想像つくはず。

 

そんな時は「知識の蓄積」に走ろう。僕が社内でよく言うワードで言えば「公式のインストール」。これ超重要で、水野さんの本は10代のセンスで躓いた20代中盤~後半の同世代に強く薦めたい。

 

ただ、ここでも壁は存在する。。。。10代のセンスを捨てられない人にとっては、長い時間をかけて何かをすることが耐えられないのです。そうなったら優しく「乗り越えるか諦めるか選べ」と言いたい。いや、実際は諦める必要ないんだけど。時間かけて色んな人の話聞いたり本読んで知識を蓄積してればそのうち何か良いことあるよっていう。

 

20代後半からはある一定時間をかけまくれるとか、反復しまくれる能力の持ち主が日の目を浴びるシーンが増えてくるんじゃないかと思う。好きなことに没頭しまくって同じことを無限回やれる人とか超強い。

 

 

書きたいことは以上なんだけど、最後になんで体育会時代の仲間で大手企業に行った人たちが大丈夫なのかも補足しておくと、そこにはまだ一般解(らしいもの)が存在するからっていうのと、一般解が無い中で意思決定を迫られる立場にいく人が少ないからです(既にその少数派で見事に成果出してる友人もいますが)