脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

天下無双と水

こんなブログを昨日書きました。

 

datsuburasagari.hatenablog.com

 

猫の話は大分先にならないとできないので水について書いていきます。水は2018年からしばらく自分のテーマになってくる言葉だと感じています。

 

「変わり続けることを変えない」

 

2016年から言葉を変えてようやく辿り着いたシンプルな解。自分は水のようになりたかったんだなーということに気づかされたのは愛読書「バガボンド」を実家で読んでいた時でした。

 

jack24bowwow.hatenablog.com

 

だいもんさん素敵なまとめありがとうございます。バガボンド愛読者の1人としてここまで簡潔で、でも要所を外すことなくまとめて下さったことに勝手に感謝しています。

 

あまりネタバレ的なことを書くのは気が引けますが、超ざっくり話すとバガボンドとは宮本武蔵の話で彼は天下無双を目指しひたすら強い人を斬り殺します。ある時、世の中で天下無双と呼ばれる人に会いに行くのですが、その人から「天下無双とはただの言葉だよ」と言われてしまいます。「ただの言葉ってどういう意味だ?」と思い悩みつつ、それでも人を斬りまくる武蔵。そこにある御坊さんが追い打ちをかけます。

 

「お前の生きる道は これまでもこれから先も 天によって完ぺきに決まっていて それが故に完全に自由だ」

 

「いやいや、決められてたら不自由極まりないじゃないか」と武蔵。僕もここまでは全く同じことを思いました。ていうか武蔵はイチイチ人から言われたことに振り回され過ぎてて結構かわいい奴なんですよね。

 

そんな武蔵はある日、流れる川を眺めていて気付きを得ます。

 

※mkt_33さん、akiruno_lifeさん、素敵なまとめありがとうございます。感銘を受け引用させて頂きます(何かあればすぐに消しますのでお申し付けください)

 

mkt-33.hatenablog.com

akiruno-life.hatenablog.jp

 

急な勾配、狭い川幅、速く鋭い流れ
地形によって、外からの力によって、水のありようは完全に決められ
水自身はただそれに従っている
外からの力によって、ありようは完全に決められ
それでも水は水、どこまでも水
完全に自由

 

川に流れる水をすくって手中にある水を眺める武蔵。水の形は外の力によって完全に決められてしまうが、それが故にどんな形にもなれる。武蔵が探し求めていたヒントはここにあるんじゃないかと思うわけですね。後に彼が1643年から1645年にかけてまとめあげたと言われる「五輪書」には剣術の奥義が記載されており、水之巻という変幻自在を本意とする戦い方が記されています。

 

天下無双とはただの言葉であり、この世に存在しないもの。なぜなら天下無双を証明したければ自分以外の人間を全て切り倒さなくてはいけないから、そんなことは不可能であり、仮にできたとしてもその時には自分のことを「貴方が天下無双です」と認めてくれる人さえいなくなってしまう。この辺りから武蔵は世の中に存在しないものを目指すことは理(ことわり)が無い、つまる無理な行為であると悟るわけです。 

 

僕に置き換えて言うと、特段何かを目指してやってきたわけではないので彼ほど強いエゴは無いんですが、29年間生きてきて培ってしまった固定概念や「こうあるべき」みたいな考え方はやはり存在するわけです。まあこういうのは誰にでもありますし、その考え方があったからこそ上手くいった場面もあるので一概に悪いものではないと思いますけど。

 

ただそれがチームの中で常にうまくワークするかと言うとそうではなく、当然別の価値観や考え方を持つ人だっているわけですよね。そうなった時に「変わり続けること」を選択できるかというのは大事になってくる気がしています。

 

「変わり続ける」というのは360度網羅することではなく、自分の中で絶対に何があっても変えられない価値観とも向き合った上で、それ以外の部分に柔軟性を持たせるというニュアンスです。どう考えても僕は青系の色が好きだしパクチー食べれないし、そういう部分まで含めたら変わりようがないじゃないですか。なので、まずは変えられる部分だけでも水のように柔らかくしていこうという気持ちの表れでした。

 

水から得た自分のインスピレーションを言語化していく過程で中学生ぶりに方丈記を読んでみたり、色々な人のブログを漁ってみました。一周してバガボンドに戻ってくると、水のように変わり続けるようとすることで人は自分の中の変われるものと変われないものに気づき、自分の不完全性を受け入れた状態で侘び寂びていく。その繰り返しによって「天の下に双つと無いもの」になっていくのではないかなと思いました。つまり天下無双とは、自分が自然体として自分であることであって、心の持ちようで誰もがなれるものなのではないかなーと。

 

最後は右脳で読んでくださいw

ありがとうございますした^^