脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

「課題主語」から考える仲間論

こちらの続きです。

 

datsuburasagari.hatenablog.com

 

カルチャーとは同調圧力の一種であり、本来は何かしらの課題を乗り越えるために生まれた“空気感”だとすれば、それをアップデートすることで次なる壁を乗り越えていけるのではないか、という話を書きました。思ってることを適当にがーっとブチマケタだけなので今日はもう少しだけ丁寧に書きます。

 

つい最近までうちの社内では「自分主語」「組織主語」という言葉を耳にする機会が多くありました。「自分主語」とは、言ってしまえば自分を中心とした思想。自分がこうしたいという主張ばかりで、それ自体はとても大切なことなんですが、行き過ぎてしまうと仲間を思いやれていなかったり「それお前が楽しいだけじゃん」という考えになりがち。その対義語チックに使われていたのが「組織主語」「VG主語」という言葉で、要は会社全体のことを考えた時に何が正なのか、という視点です。

 

個も組織も大事なので結局はバランス論。どちらが一方的に良い悪いではない。とすれば、何か違う言葉はないかなーと思って最近僕が勝手に言いだしたのが「課題主語」という言葉です。うちで言えば様々な事業部(子会社)があるのですが、それぞれが身を置く業界の本質的な課題は何か、 理想状態は何か、理想状態に近づけるために僕らの強みをどう生かしていくのが良いのか。そんなことをひたすら考え、行動していくというのが「課題主語」の言わんとすることです。

 

当たり前じゃねーかって話なんですけど、本当の意味でユーザーやクライアントを見て仕事してる方ってどれだけいますかね。ちなみにこの考え方は前職でお世話になった2人の先輩から頂きました。当時まだ僕が1年目で先輩たちは27-8歳だった頃だと思います。「内じゃなくて外見て仕事しようぜ」が僕らの合言葉で、今でもその教えがガッツリと染みついています。

 

ここでいう「課題」とは

・社内ではなく社外にあるもの

・定義された理想状態に対して今不足しているもの

というのが超重要です。

 

多くの人が陥りやすいのが「不足しているもの=課題」という考え方で、じゃあ水泳選手にとって足遅いことは課題なのかっていうと違うじゃないですか。だから「理想状態が何か」という文脈の中で今足りていないものを明確にして、どういう時間軸でそれらを埋めていくのが良さげなのかを議論していくことが大切なんじゃないかと思うわけです。

 

 

そんな感じで同じような課題意識を持つ仲間が集まると、カンパニーが生まれます。

 

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今回ブログのタイトルを「組織論」ではなく「仲間論」にしたのは、カンパニーの語源から考えていくと「組織論」はなんか固いなーと思ったから。そもそも「Society」も明治時代に「仲間連中」なんて訳されてましたからね。こっちのがゆるくて好きだぜ(╹◡╹)

 

僕が「課題主語」の考え方を推す理由は、ヒトではなくコトを見て話ができるからです。つまり市場における理想状態と現状とのギャップを埋める良い施策を考えて実行した人がスバラシイのであって、よくある「(社内でえらい)誰々さんが言ってるからやろう」みたいな発想から脱することができると考えています。まあその誰々さんの意見がスバラシければ1mmも問題ないです。ただ常に正しいこと言う人なんて世の中にいないんで、本質的な課題に気づいて「こうあるべきじゃね?」って言った人、それに対して実行した人に等しくスポットライトがあたるチームが良いなーと個人的には思ってます。

 

なんかこのまま書きまくってると「一神教的村社会論」と「コミュニティ論」に突入しそうなんで、今日もまたこの辺りで。

 

最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございましたmm