脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

天秤座力を磨いてみようと思った話

自分の性格・考え方が作られるのは幼少期の環境だったり主に後天的要素が強いとは思うんだけど、先天的に何か説明できるものがあるとしたら?と考えた時に天秤座の特徴を読んでみた。巷で話題のしいたけ占い と同じかそれ以上に自分中で定評のある石井ゆかりの星読みより。

 

天秤座の性質を表現する時「平等・公平・バランスが良い」などの言葉で形容されることが多い。自分の中ではフェアということばがしっくりくるんだけども。確かにこの要素は強くあるなーと思った。昔は全然そんなことなかったのにここ数年は特にこの色が強くなってきている。多分、モノの見方・考え方が多角的になることで成長機会が増えることに気づいたからじゃないかな。

 

物事を単一視点からしか見えない人(いないとしても視点の数が少ない人)は同じような壁でいつも躓きがち。なんと言っても過去の自分がそうだったと思う。~~とはこうあるべきなんじゃないか、みたいな「べき論」が強くなっていて、それによって受けれた恩恵もあるにはあるものの、毎度同じような壁に跳ね返されてしまう。

敢えて単一視点からモノを見つめて全力疾走する時期も大切で、短い時間内に尖った成果を出さなければいけない時とかは威力を発揮する。こういう短距離走は速いに越したことはない。

ただ長い間そうしてしまうと考えが凝り固まってしまい、原理主義者っぽくなるような気がしていた。単一視点や原理主義自体が悪いわけではなくて、ただ自分の進みたい方向性ではないと感じたので捨てることに。

 

最近は何かを決める時、それがX個の選択肢から1つを選ぶ作業だとしたらXに入る数字が以前より確実に増えた実感はある。しかもただ数が増えただけでなく多様な要素が入るようになってきた。選択肢の一長一短を認識すること。自分の進みたい方向性に沿って取捨選択すること。必要であれば、短い時間軸では捨てざるをえないものを拾いにいく時間も作ること。そんな風にして様々決断ができるようになった感じがする。

 

バランス感覚に優れた意思決定ができる能力のことを自分の中では「天秤座力」と呼んでいる。昔はバランス感覚が良い、みたいな言葉があまり好きじゃなくて、なんとなくどっちつかずで優柔不断ぽい印象を受けていたのだけど、いざ自分がこの力を磨こうと思った時に優準不断とは対極にある考え方だと気づいた。

天秤座力を磨くには、調和を取る要素どうしの重さを理解していないと難しい。なぜなら日常生活における意思決定の場面で同質のモノを比べあうことことよりも、異質なモノどうし(例:お金と時間、恋愛と友情、高給とワークライフバランスなど)を天秤にかけることの方が多いから。優柔不断な人との違いはここで、決断に必要なキーファクターを理解しているか否かだと思う。

 

ついでに言うと、ある程度の方向性がわかっていなければ良い決断をするのは難しいとも思っている。方向性がまったくもって示されていなければ、現在起きている事象にどれだけの課題感があるのかわからない。よく例えに出すのは「足が遅い」という事象は陸上のスプリンターにとって致命的な弱点でもスイマーにとってはどうでも良いって話。「事象」は方向性によって「課題」かどうか定義される。

 

そんなこんなを考えて課題だなーと思ったことについては解決策を練るわけだけれども、ここでも大概、時間・お金・誰とやるか、みたいな要素を混ぜて考える必要がある。出した策の一長一短を見て最大メリットを取りにいくこともあれば最少デメリットを取りにいくことも。

 

意思決定は一瞬だけど、常に多角的な視点から検証するスタンスは大事にしていきたいな。そして自分と違う考えに対して排他的になるのではなく、そういう考えも取り入れるとしたらどうなるか考えられるようになりたい。自分の軸は持ちつつ、Xに入る要素は常に増やせるように。

 

その方が多彩で何となく人間的に成長できる気がしましたよっと。