脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

才能についてグダグダ書いてみる

最近「才能」について考える機会が多い。

 

社会人を5年やっていればそれなりに後輩を指導する場面とか、チームを任される機会は増えてきた。人の能力には差があるので、同じ仕事を任せたとしても一定レベルまで達する時間は様々。経験に基づいた能力であれば「過去に同じようなことをやったことがある」者が有利なのは何となくわかるが、未経験者どうしでも差が生れるのはなぜか。仮に先天的な差があるとしたら、所謂「才能」という言葉で表現されるそいつの正体は何なのか。そんなことを最近ずっと考えていたので、ここら辺で「才能」についてグダグダ書いてみる。

 

 才能=ショートカットツール、という考え

普通の人が10の力で頑張らないとできないことを2~3の力でやれる人がいれば、それはその分野において「才能がある」と思われるのが一般的なのではないか。

 

勉強・スポーツだとこの辺はわかりやすく表に出やすい。特に小学校低学年のスクールカーストはほぼ生まれつきの才能勝負で決まる所はあると思っていて、足が速い奴は人気が出るし勉強できる奴は尊敬される(最近は知らないけど)だから自分の才能を活かせる分野と早くに出会えたらその分、早期から活躍できる可能性は広がる。

 

誰もがそんな幸運な出会いに恵まれるわけではないのも事実だけど、そうなったら持って生まれた才能を活かせる分野を探して自分から飛び込んでいけば良い。(この話は才能があって、本人も自覚している場合を前提)

 

自分の場合は生まれつき足が遅くて体格が良いわけでもなかった。総じて身体能力が高いわけではないものの、肩が強かったのと反射神経・動体視力はそこそこ良かった。あとは「見た動きを自分のものにする力」「この先起きそうなことを予測する力」がそれなりにあったおかげで、野球ではキャッチャーとサード、ラクロスではゴールキーパーをやれていた。「我が一族は皆、足は遅いが背筋が強くて反射神経が良い」という謎の口癖を父親が幼少期から言い続けていたので、もしかしたら自分は勝手に洗脳されただけかもしれない。どうせ洗脳されるなら足も速くして欲しかった。

 

まあ、ここで言いたかったのは、自分の才能を分析してそれが活かせるフィールドを探してみましょう。そっちで勝負した方が勝てる確率は高いですよね、という話。 「才能=ショートカットツール」という考えはこんなところで良いだろう。大して深堀するまでもなく共感は得やすい考え方だと思う。

 

ちなみに外見についてはショートカットの最たる例だと思っている。そもそも外見が良くないと踏み込めない世界が存在するのは事実だし、それだけで得をすることもあるのは生きていく上で隠しようのないことだと思う。cakesで連載されているカレー沢薫さんの「ブス図鑑」ではこの辺をかなり鋭く切り込んでいて、彼女の意見に賛否を言うつもりはないけど読み物としてはかなり面白い。彼女の考察力、独特の表現力は他の人が身に着けようと思っても中々できないと思う。

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才能があるから継続できる、という考え

小学校時代の友人から教えてもらった考え方。彼は自分が出会った人の中で5本指に入る頭の良さを持つ。頭の良さを物語るエピソードは沢山あるが、一番は色々あって中学・高校と外に出れない期間がずっと続いたにも関わらず大学受験すると決めた2か月後には国語と英語の偏差値が70を超えたことだろう。もちろん外に出れなかった期間を勉強に費やしていたわけではない。まったく勉強していない状態から短期間でここまで高い成果を出せる人はそういないんじゃないかな。。。

 

彼に言わせると自分の意見「才能=ショートカットツールであること」は間違いないけど、それが故に継続できるという点がポイントらしい。

 

普通の人が10の力で頑張らないとできないことを2~3の力でやれる人」は、ちょっとやれば他の人より活躍できるから継続するストレスが少ない。加えて「活躍できる→楽しい→自然とのめり込む」という順で無意識に反復回数が増えてくるとどんどん成長が加速していって、その分野における能力が高くなっていくのではないかと言っていた。

 

反論の余地が無い。彼は昔から物事が上手くいくパターンを瞬時に理解できたり、人の気持ちに入り込んで共感する力が異常に高かった。新しい情報を取り入れて、その場に適した正しいアウトプットを出す作業が得意だったし、その行為を人生の中で無意識に反復し続けていたからこそ受験勉強でも短期間で高い成果が出せたのだろう。

 

そうなると高い成果を出した人の「自分は継続できる才能があっただけ」という発言を鵜呑みにするのはとても危険。中にはショートカットツールとしての才能を持ち合わせないまま、それでも取り組んでいる物事が好きで努力を続けて高い成果を残せる人もいるとは思う。ただ確率論的にはそうでない人の方が多いだろう。多くの場合は才能があるから継続できるのであって、自分の才能を正しく理解して、それが活かせる分野を探すことが成功確率は高まる気がする。

 

為末大さんの「諦める力」でも似たようなことは書かれている。

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諦めると聞くとネガティブなイメージが強いが本来の意味は「明らめる」から来ていて、道を明らかにするというニュアンスだった。読んだのが随分前なので正確に覚えているわけではないものの、自分の持っている力を正しく理解して進むべき道(成功確率が高い道)を選択していきましょうという内容だった。その過程で「進まない道」をどう諦めるかが書かれてあるので、進路に悩んだ人は手に取ってみると良いかもしれない。

 

才能とは集中力の掛け算、という考え

これまたcakesからカッピーさんが連載している「左ききのエレン」より

 

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集中力には「深さ」「長さ」「早さ」があって、この3つの要素の掛け算が才能の正体なのではないかという考え方。

 

自分はこの回を何度か読み返してはいるけど本質的な部分まで理解できてない。ここでは「努力を継続できる=集中力を持続できる」ということになるが、例えばアスリートの習慣化したトレーニングや食生活は自動運転みたいなものだ。そこに集中力の介在余地があるようには思えない。歯を磨く行為が努力ではなく習慣化して日常に溶け込んでいるのと同様に、成功者の多くは意識しなくてもできるレベルまで他者から見たら努力と思われる行為を習慣化しているケースは少なくない。

 

成功するためにやるべきことを探求していく行為は集中力の掛け算でも説明はつく。探求に必要な集中力の「深さ」「長さ」が一定必要なのもわかる。その先の習慣化した自動運転は集中力の掛け算理論では説明がつかない気がしている。自分的には友人の理論の方が納得いくなーという感じ。

 

発展途上の考察なのでまた機会があれば(気が向いたら)書こう。

 

寝ませうZzz