脱ぶら下がり奮闘記

ゆるふわな感じの暇つぶしです。

インプットと練習

かれこれ20年以上スポーツしてきてるんですが、スポーツ選手で練習しない人っていないじゃないですか。常に試合だけしたいです、みたいな人。身体動かすのが趣味ですっていう人ではいるか。でも僕の中でのスポーツ選手の定義からは外れるので置いておきます。

 

週末の草野球とかでも一定レベルになるとみんなめっちゃ練習してるし(自分の地元の友達とかは)、基本的には試合で勝つために自分をレベルアップさせる行為が練習なわけで、ここを疎かにしたら勝つことを放棄していることと同義だと思うんです。

 

それで、これもある程度スポーツしてた人ならわかると思うんですが、戦略って基本的にこの4つからどうバランスを取るかで決まっていくものなんですよね。

・自分たちの強みを最大限生かす

・自分たちの弱みをカバーする

・相手の弱みを突く

・相手の強みを抑える

※とてもシンプルに書きましたが実際は点差、時間帯、試合の流れ、選手の士気を読んで采配するのでめっちゃむずいです。

 

実力のあるチームになればなるほど普通にやりゃ勝てる状態になるので、自分たちの強みを最大限生かすことだけに注力できるようになります。逆に弱いチームほど奇をてらった作戦を実行しないと勝てない場面も出てくるわけで、野球で言えば野村監督がそういうのめっちゃ上手かった印象があります。これはこれで名指揮官の存在が際立ちますよね。

 

仕事に置き換えていうと、日々僕らって試合してるわけじゃないですか。何かしらアウトプット(価値提供)してその対価としてお金を頂いているわけで。じゃあ練習いつしてんの?って話になるんですよね。

 

もちろん日々の仕事の中で学びはあります。試合の中で活かせる技術と出会えるように。これはスポーツでも同じ。じゃあそれを反復して身体に馴染ませようとか、練習段階でそういう技術と出会うには何が必要だったのか考えるとか、めっちゃ大事だと思うんです。

そのためにはインプットだろうと。やっぱり世の中で活躍してる人を見ると持ってる情報量が違う。例えば自分が仕事中で得た「良い気付き」が、既にある本で書かれていたとしたら。その本の著者は自分の進みたい方向性の先駆者で、もしかしたらこれから自分が欲しい気付きを既に持っている人かもしれない。であればその人の書いた本を片っ端から読んでいくとか、インタビュー記事なり動画を見まくれば良い。

 

何が書きたかったか整理すると

・強い人、組織ほどシンプルな戦略で戦って勝てる。

・スポーツ選手でいう練習は、僕ら一般的なビジネスマンに置き換えると情報のインプットだと思う。

 

って話でした。今年はこの辺意識しながら動いてこー。

 

等身大で勝負する

色んな場面で大切だと思うことです。

 

そもそも等身大で勝負できないような自分にしておかないことが大事で、強い身体&体力に加えて技術があれば精神は揺らがないという。一流のアスリートたちが言うような体>技>心の順番で磨いていきましょう理論ですね。

 

等身大でいること、飾らない自分でいること。その状態でいかに高いパフォーマンスが出せるか。長く良い状態を持続させるために必要なことは何か。ずっと昔から考えていたことでもあり、最近また考え始めたテーマでもあります。

 

早くに「その場しのぎスキル」を身に着けてしまったが故に、人や物事と膝を突き合わせて深く対話する能力が身につかなくなってしまうのは勿体ない。

「うるせェ!!!いこう!!!」と言えるかどうか

自分の周りだけか、一時期やたら「コーチング」にハマる人がいました。

知識や経験を一方的に教える「ティーチング」との比較で語られることが多く、「コーチング」は双方向なコミュニケーションを通じて相手の中にある潜在的な言葉や解決策を見出していくという手法です。

※色んな定義があるのでここではニュアンスが伝われば良いです。

 

守破離に則っていけば、何事もある一定はまっさらな状態から正攻法を学ぶ「守」の時期で、ここでは「ティーチング」がモノを言うでしょう。なにせ何が正しい方向なのかもわからない状態なわけで、そんな人相手に潜在的な解決策を引き出すも何もないですよね。基礎を固めるためにはまず先人たちが築いてきた勝ちパターンを学ぶ必要があると思います。

 

一方で「コーチング」は「型を破る時期」になった時に初めて効果を発揮するんじゃないかと思います。どんな方向性に突き抜けていくのか、自分のやりたいことと、できることが食い違ったり、周りから求められてるものを考えていくうちに答えが見えなくなってくる時というのは、誰でもあるんじゃないでしょうか。そんな時に自分の心の声を引き出してくれる人の存在は有難いですよね。

 

ただ「コーチング」の「引き出す」という側面だけを見ると、本人がナリで行ける場所まで到達するお手伝いに過ぎないのではないかと思ってしまうし、実際そういう側面もあると思っています。

 

だけど仮にその人よりもその人自身の可能性や成長を信じることができれば。「うるせェ!!!いこう!!!」と言えるんじゃないかと思うわけです。このセリフは ワンピース十七巻より、海賊になりたいけど様々な葛藤があって悩んでいるチョッパーに対してルフィが言うセリフです(めっちゃざっくりした説明)

 

「うるせェ!!!いこう!!!」は、うるせえといこうの間に(俺たちと一緒に)というワードが入っているように思います。かなり丁寧に言い換えれば「色々あんのはわかるけど絶対こっちの方が楽しいから、とにかく俺らと一緒にいこうぜ!」といった感じです。

 

「ティーチング」も「コーチング」も相手の置かれているフェーズにおいて有効な施策であることは間違いないですが、僕の会社ではこの言葉を言える人を増やしていきたいと考えています。なぜならこれが言える人というのは 「相手よりも、その人自身の可能性や成長を信じることができる」からです。「リーディング」という表現が適切かわかりませんが、これが言える人は、相手が思ってるよりも遥かに高い次元に導いてあげられる人な気がします。


「うるせえいこう」人材、増やしていきます。まずは自分から。

 

ブログ再開したんですけど

人のブログ読むのが面白くて色んな方の記事読み漁ってました。

着眼点、言語化能力、文章構成力、その他あらゆる能力の結晶が記事になってる感じ。もう読んでるだけで圧倒されます。うおーってなる。

 

思えば昔からスポーツ選手のインタビューとか、その人が発した言葉から学ぶことが多かったような気がします。その人のモノの見方、考え方、感じ方は自分とどう違うんだろう?なんで違うんだろう?そんなことをよく考えていました。

 

だからなのか「サルでもわかる!できる人に共通してる〇〇シンキング」系の本あるじゃないですか。あそこから学ぼうと思っても全然ダメ。ノウハウ教えます系の本は1mmも頭入ってこないので苦手なんです。

 

多分、自分にとって「人」由来の説得力が大事なのかもしれません。この人が言うならっていうやつです。面白いと感じる本は文章自体が面白いので、コンテンツから入っても書いた人の考えを理解しようとします。これだけのことが書ける人はどんな経験をしてきたんだろう、と。

 

人(発信者)そのものにリスペクトがある場合は最初から肯定的な受け取り方をしがちなので発言内容を注意深く聞くんですが、やっぱり内容も面白いやってなることが多いんですね。その回数が多いから自然とリスペクトしてるわけですが、そうやっていくうちに「この人の言うことは面白いし信じられる」ってなるんだと思います。

 

だからこの再開をきっかけに新たな師と沢山出会い、幅を広げていきたいと思ってます。

のんびり再開

眠らせてたブログをのんびり再開。

 一回書くのやめちゃうとダメですね。腰が重たいとはまさに。

 

土日に見かけて思わず数年ぶり(盛った。数か月ぶり)くらいにtwitterに投稿した記事について会社の日報でも軽く触れました。

自分への取材が人生を変える

はあちゅうさんの記事です。

絶賛就活悩み中の教え子にも「とりあえず読んどけ」と送りつけました。

 

日頃話していて「あースゴイなー」と思う人は、大概自分に対して日々色んな角度で質問をぶつけまくってる人であることが多い。そういう人はテレビ見ながらとか、本読みながらでも常に自分と対話してるんだろうな。いやいや俺はこう思う、とか、自分だったらこうだなー、とか。

 

自分の場合、取材された記事の公開先がないと絶対に手抜きしてやらないだろうなと思ったのでブログを再開したというわけです(この時点で自分のことよくわかってるわーとか思って満足するタイプ)

 

というわけで、のんびり再開します。

 

天秤座力を磨いてみようと思った話

自分の性格・考え方が作られるのは幼少期の環境だったり主に後天的要素が強いとは思うんだけど、先天的に何か説明できるものがあるとしたら?と考えた時に天秤座の特徴を読んでみた。巷で話題のしいたけ占い と同じかそれ以上に自分中で定評のある石井ゆかりの星読みより。

 

天秤座の性質を表現する時「平等・公平・バランスが良い」などの言葉で形容されることが多い。自分の中ではフェアということばがしっくりくるんだけども。確かにこの要素は強くあるなーと思った。昔は全然そんなことなかったのにここ数年は特にこの色が強くなってきている。多分、モノの見方・考え方が多角的になることで成長機会が増えることに気づいたからじゃないかな。

 

物事を単一視点からしか見えない人(いないとしても視点の数が少ない人)は同じような壁でいつも躓きがち。なんと言っても過去の自分がそうだったと思う。~~とはこうあるべきなんじゃないか、みたいな「べき論」が強くなっていて、それによって受けれた恩恵もあるにはあるものの、毎度同じような壁に跳ね返されてしまう。

敢えて単一視点からモノを見つめて全力疾走する時期も大切で、短い時間内に尖った成果を出さなければいけない時とかは威力を発揮する。こういう短距離走は速いに越したことはない。

ただ長い間そうしてしまうと考えが凝り固まってしまい、原理主義者っぽくなるような気がしていた。単一視点や原理主義自体が悪いわけではなくて、ただ自分の進みたい方向性ではないと感じたので捨てることに。

 

最近は何かを決める時、それがX個の選択肢から1つを選ぶ作業だとしたらXに入る数字が以前より確実に増えた実感はある。しかもただ数が増えただけでなく多様な要素が入るようになってきた。選択肢の一長一短を認識すること。自分の進みたい方向性に沿って取捨選択すること。必要であれば、短い時間軸では捨てざるをえないものを拾いにいく時間も作ること。そんな風にして様々決断ができるようになった感じがする。

 

バランス感覚に優れた意思決定ができる能力のことを自分の中では「天秤座力」と呼んでいる。昔はバランス感覚が良い、みたいな言葉があまり好きじゃなくて、なんとなくどっちつかずで優柔不断ぽい印象を受けていたのだけど、いざ自分がこの力を磨こうと思った時に優準不断とは対極にある考え方だと気づいた。

天秤座力を磨くには、調和を取る要素どうしの重さを理解していないと難しい。なぜなら日常生活における意思決定の場面で同質のモノを比べあうことことよりも、異質なモノどうし(例:お金と時間、恋愛と友情、高給とワークライフバランスなど)を天秤にかけることの方が多いから。優柔不断な人との違いはここで、決断に必要なキーファクターを理解しているか否かだと思う。

 

ついでに言うと、ある程度の方向性がわかっていなければ良い決断をするのは難しいとも思っている。方向性がまったくもって示されていなければ、現在起きている事象にどれだけの課題感があるのかわからない。よく例えに出すのは「足が遅い」という事象は陸上のスプリンターにとって致命的な弱点でもスイマーにとってはどうでも良いって話。「事象」は方向性によって「課題」かどうか定義される。

 

そんなこんなを考えて課題だなーと思ったことについては解決策を練るわけだけれども、ここでも大概、時間・お金・誰とやるか、みたいな要素を混ぜて考える必要がある。出した策の一長一短を見て最大メリットを取りにいくこともあれば最少デメリットを取りにいくことも。

 

意思決定は一瞬だけど、常に多角的な視点から検証するスタンスは大事にしていきたいな。そして自分と違う考えに対して排他的になるのではなく、そういう考えも取り入れるとしたらどうなるか考えられるようになりたい。自分の軸は持ちつつ、Xに入る要素は常に増やせるように。

 

その方が多彩で何となく人間的に成長できる気がしましたよっと。

 

才能についてグダグダ書いてみる

最近「才能」について考える機会が多い。

 

社会人を5年やっていればそれなりに後輩を指導する場面とか、チームを任される機会は増えてきた。人の能力には差があるので、同じ仕事を任せたとしても一定レベルまで達する時間は様々。経験に基づいた能力であれば「過去に同じようなことをやったことがある」者が有利なのは何となくわかるが、未経験者どうしでも差が生れるのはなぜか。仮に先天的な差があるとしたら、所謂「才能」という言葉で表現されるそいつの正体は何なのか。そんなことを最近ずっと考えていたので、ここら辺で「才能」についてグダグダ書いてみる。

 

 才能=ショートカットツール、という考え

普通の人が10の力で頑張らないとできないことを2~3の力でやれる人がいれば、それはその分野において「才能がある」と思われるのが一般的なのではないか。

 

勉強・スポーツだとこの辺はわかりやすく表に出やすい。特に小学校低学年のスクールカーストはほぼ生まれつきの才能勝負で決まる所はあると思っていて、足が速い奴は人気が出るし勉強できる奴は尊敬される(最近は知らないけど)だから自分の才能を活かせる分野と早くに出会えたらその分、早期から活躍できる可能性は広がる。

 

誰もがそんな幸運な出会いに恵まれるわけではないのも事実だけど、そうなったら持って生まれた才能を活かせる分野を探して自分から飛び込んでいけば良い。(この話は才能があって、本人も自覚している場合を前提)

 

自分の場合は生まれつき足が遅くて体格が良いわけでもなかった。総じて身体能力が高いわけではないものの、肩が強かったのと反射神経・動体視力はそこそこ良かった。あとは「見た動きを自分のものにする力」「この先起きそうなことを予測する力」がそれなりにあったおかげで、野球ではキャッチャーとサード、ラクロスではゴールキーパーをやれていた。「我が一族は皆、足は遅いが背筋が強くて反射神経が良い」という謎の口癖を父親が幼少期から言い続けていたので、もしかしたら自分は勝手に洗脳されただけかもしれない。どうせ洗脳されるなら足も速くして欲しかった。

 

まあ、ここで言いたかったのは、自分の才能を分析してそれが活かせるフィールドを探してみましょう。そっちで勝負した方が勝てる確率は高いですよね、という話。 「才能=ショートカットツール」という考えはこんなところで良いだろう。大して深堀するまでもなく共感は得やすい考え方だと思う。

 

ちなみに外見についてはショートカットの最たる例だと思っている。そもそも外見が良くないと踏み込めない世界が存在するのは事実だし、それだけで得をすることもあるのは生きていく上で隠しようのないことだと思う。cakesで連載されているカレー沢薫さんの「ブス図鑑」ではこの辺をかなり鋭く切り込んでいて、彼女の意見に賛否を言うつもりはないけど読み物としてはかなり面白い。彼女の考察力、独特の表現力は他の人が身に着けようと思っても中々できないと思う。

cakes.mu

 

才能があるから継続できる、という考え

小学校時代の友人から教えてもらった考え方。彼は自分が出会った人の中で5本指に入る頭の良さを持つ。頭の良さを物語るエピソードは沢山あるが、一番は色々あって中学・高校と外に出れない期間がずっと続いたにも関わらず大学受験すると決めた2か月後には国語と英語の偏差値が70を超えたことだろう。もちろん外に出れなかった期間を勉強に費やしていたわけではない。まったく勉強していない状態から短期間でここまで高い成果を出せる人はそういないんじゃないかな。。。

 

彼に言わせると自分の意見「才能=ショートカットツールであること」は間違いないけど、それが故に継続できるという点がポイントらしい。

 

普通の人が10の力で頑張らないとできないことを2~3の力でやれる人」は、ちょっとやれば他の人より活躍できるから継続するストレスが少ない。加えて「活躍できる→楽しい→自然とのめり込む」という順で無意識に反復回数が増えてくるとどんどん成長が加速していって、その分野における能力が高くなっていくのではないかと言っていた。

 

反論の余地が無い。彼は昔から物事が上手くいくパターンを瞬時に理解できたり、人の気持ちに入り込んで共感する力が異常に高かった。新しい情報を取り入れて、その場に適した正しいアウトプットを出す作業が得意だったし、その行為を人生の中で無意識に反復し続けていたからこそ受験勉強でも短期間で高い成果が出せたのだろう。

 

そうなると高い成果を出した人の「自分は継続できる才能があっただけ」という発言を鵜呑みにするのはとても危険。中にはショートカットツールとしての才能を持ち合わせないまま、それでも取り組んでいる物事が好きで努力を続けて高い成果を残せる人もいるとは思う。ただ確率論的にはそうでない人の方が多いだろう。多くの場合は才能があるから継続できるのであって、自分の才能を正しく理解して、それが活かせる分野を探すことが成功確率は高まる気がする。

 

為末大さんの「諦める力」でも似たようなことは書かれている。

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諦めると聞くとネガティブなイメージが強いが本来の意味は「明らめる」から来ていて、道を明らかにするというニュアンスだった。読んだのが随分前なので正確に覚えているわけではないものの、自分の持っている力を正しく理解して進むべき道(成功確率が高い道)を選択していきましょうという内容だった。その過程で「進まない道」をどう諦めるかが書かれてあるので、進路に悩んだ人は手に取ってみると良いかもしれない。

 

才能とは集中力の掛け算、という考え

これまたcakesからカッピーさんが連載している「左ききのエレン」より

 

cakes.mu

集中力には「深さ」「長さ」「早さ」があって、この3つの要素の掛け算が才能の正体なのではないかという考え方。

 

自分はこの回を何度か読み返してはいるけど本質的な部分まで理解できてない。ここでは「努力を継続できる=集中力を持続できる」ということになるが、例えばアスリートの習慣化したトレーニングや食生活は自動運転みたいなものだ。そこに集中力の介在余地があるようには思えない。歯を磨く行為が努力ではなく習慣化して日常に溶け込んでいるのと同様に、成功者の多くは意識しなくてもできるレベルまで他者から見たら努力と思われる行為を習慣化しているケースは少なくない。

 

成功するためにやるべきことを探求していく行為は集中力の掛け算でも説明はつく。探求に必要な集中力の「深さ」「長さ」が一定必要なのもわかる。その先の習慣化した自動運転は集中力の掛け算理論では説明がつかない気がしている。自分的には友人の理論の方が納得いくなーという感じ。

 

発展途上の考察なのでまた機会があれば(気が向いたら)書こう。

 

寝ませうZzz

若手の挑戦を見送る人の心境

先日友人が転職した。その友人は名前を聞けば誰でも知っているメーカーに勤めていて、この度名前を聞けば誰でも知っている広告代理店に転職することになった。

 

友人はエネルギッシュだった。地方に転勤になっても毎月の様に東京に来て友人と会ったり転職活動したり。今の仕事に不満を持ちながらもそこで腐るのではなく次にどんなステップに進むか一生懸命考えていた(様に見える。ひいき目もあるかもしれないけど)

 

友人の転職先が決まり上司に報告する瞬間が来た。

 

自分も経験あるがこの瞬間はとても緊張する。今までお世話になった人への恩は感じつつも次のステップに進みたい思いもあるし、恩返ししたいけどここではない場所の方が頑張れる自分がいるのも知っている。もしかしたら上司から「お前ふざけんな!」と怒られるかもしれない怖さも入り混じって振り絞りながら伝えた転職報告。上司からは意外な返答があった。

 

「お前よくやったな」

 

 「あんま大きな声じゃ言えないけど直属の部下になった奴らには必ず転職サイトに登録させてんだよ。うちは大手だし、時間はかかるけど上に行けばそれなりに大きな仕事も任せてもらえるようになるけど、、、やっぱ若いうちは東京にいた方が良い。東京には色んな仕事、人、情報が集まるから、若い頃はそこで沢山揉まれた方が後々自分のためになる。この環境は恵まれてるけど、うちだけがすべてじゃない。そのことを知って欲しくて転職サイトにも登録させてるんだよな。表向きは『自分にどんな市場価値があるのか知っておけ』って言ってるんだけどさ。」

 

「そういえば最近俺の娘も最近転職したんだ。だからってわけじゃないけどお前の転職はすごく良い決断だと俺は思う。俺はそれなりの役職になっちゃったし、年齢も家族もあるから今からどうこうできるわけじゃない。たまに東京に住んでる家族に会いに行くけど、俺も若いころに戻れるならあの町で挑戦してみたいな。いやーお前が羨ましいよ。東京行っても元気でやるんだぞ!」


上司の娘が転職したばかりとか、東京に家族を残して地方で働いているとか、部下に転職サイト登録させていたとか、友人はその時初めて聞いたらしい。

 

この話を聞いた時、恥ずかしながら友人と2人で泣いてしまった。恐らく上司は自分がもう挑戦できる状態ではないことを知っていた。それが体力・気力的になのか、市場価値云々の話なのかは重要ではないが恐らくそのどちらもだろう。

 

『今の自分に後悔があるわけではないが若いころに戻れたら多少給料が下がってでも心からやりたいと思える仕事に挑戦したい。家族と離れ離れになって暮らすのは辛いけど、今の職場でこの役職に就けるまでに何年もかかった。家族を養っていくためにも今さら辞める選択肢はない。ただ、これから自分の部下になる者には自分の様になって欲しくない。名前のある会社でそれなりの役職に就くまでに何年もかかった。気が付いたら人生をかけて挑戦できる年齢ではなくなっていた。今の俺にできるのはこれから挑戦していく者を応援するだけだ』

 

完全に推測でしかないが、友人の上司はこんなことを思っていたのかもしれない。かなりの拡大解釈であることはわかっているがそんなに大外れはしていないと思う。

 

僕たち2人に上司の方を馬鹿にする気持ちは一切ない。家族を養うために大企業で一生懸命働いて昇格してやっとの思いでここまで来た自負はありながらも、ここを去って新たに挑戦していく若手を前に思う所があったのではないか。様々な感情が交錯するなかで去って行く部下に「よく転職した」と言える人は多くない気がして、その上司の心境を考えると何も言葉が出てこなかった。

 

焼肉ランチに行ってきました

先日、ブログを始めた目的の一つだった「仕事上で関わった方の良い所を自分目線で書く」を遂行すべくアカツキの小倉さんをランチにお誘いしました。

 

初対面の時から頭のキレキレ度合に圧倒され只者でない空気感を感じていたものの、柔らかい口調から漂う安心感によって僕の中の「深く話してみたい人リスト」に入れさせてもらいました。

 

お互い、前職が不動産関連という今のフィールドとは全く別分野から転職してきたこともあり、前職の仕事内容から転職に至った経緯、今後トライしたいことまで、幅広くお話しさせて頂きました。

 

お互いの仕事に対するスタンスや哲学を話していくなかで、小倉さんの「目の前の相手に本気で寄り添い、とことん本音で前向きにアドバイスできる」人間力?というか、天性の思いやリ力みたいなものに、僕はとてつもなく魅かれてしまいました。初対面の時から感じていた、あの安心感・空気感もここから来ているのだと思います。もし今、自分が求職者の立場だったら真っ先に相談していることでしょう。

 

新卒・中途問わず、多くの求職者の方はどこかモヤついていたり、今の仕事や将来について不安を抱えていることかと思います。少なくとも自分は転職の時も不安も多かったし、自分の主張は正しいか?相手に受け入れてもらえるのだろうか?という考えが頭から離れなかった時期もありました。

 

そんな相手に採用担当という「いち営業マン」としての立場だけでなく、「いちキャリアアドバイザー」的な立ち位置で、一緒に将来のことを寄り添って考えてあげられる人事の方はとてもクールだと思います。

 

ただ、このようなスタンスはmustだと思わないし、むしろ面接受ける時点で考え固めてから来てよっていうのが普通?なのかもしれないですが、だからこそ、相手に寄り添うスタンスを持って相手と接することができる小倉さんは多くの求職者の方にとって「有難い」存在なのではないかと思うわけです。

 

自分は学生時代の就活で「面接この日にやるよー」と言われて行ってみると「何しに来たの?あれ、今日だっけ?やべぇ、ちょっと待ってて」みたいな感じでダンボール詰まれた部屋で30分待たされる、という様な経験もしたわけですが、不安定な状態の求職者にとって「された嫌だったこと」「してもらって嬉しかったこと」は意外と記憶に残ってるものですね。

 

僕は嬉しいことに、自分の周りには小倉さんの様に相手の将来に寄り添って本音でアドバイスしてあげれる方が多くいらっしゃるので、今後もゆるゆると尊敬してる方や好きな人について書く機会も増やしていこうと思ってます。

 

小倉さん、今回はありがとうございました!

 

 今後も超絶不定期に更新していきます。

転職の時にキャリアアドバイザーが教えてくれたこと

前回の記事を書いて思った以上にお問い合わせをもらえたこともあり、悩める同世代向けに書いてみようと思います。

 

僕は2回の転職活動(うち成功は1回)を通じて何人かのキャリアアドバイザーの方と話をしてきました。その中である人の言葉が今でもすごい印象に残っているので紹介します。

 

「この仕事を何年かやって思ったことだけど、給料、仕事内容、職場環境、この3つのうちの1つしか転職で改善することはできない。」

 

「例えば給料を求めるなら、やりたくないことも難易度が高い仕事とも向き合わなければいけない時が来るかもしれないし、ハードな職場環境になることも覚悟しておくべきだ。」

 

「結論、1つは今よりも絶対に良くなる。ただし残り2つは相当な運がない限り現状維持か悪化すると思った方がいい。だから自分が何を取って何を捨てるか決断してください。」

 

 

僕はなるほどなーと思いました。普通に考えてエージェントだって魔法使いではないので求職者のあらゆる要素を満たした職場を紹介することはできませんよね。不動産屋の家探し同じ。

 

僕は「それなら仕事内容を選びます。あとの2つは仮に悪化しても構いません。」と答えました。この決断をする1年以上前から、自分が今何にモヤモヤしているのか、何のしがらみもなければどんなことに挑戦したいかを言語化し続けてきたので、悩むことなく即決できたのを覚えています。

 

結果的にエージェント経由ではなく友人に誘われて現職に至ったわけですが、3項目にそれぞれどのような変化が起きたか気になる人は直接会った時にでも聞いてください。

 

最近僕の中で間違いないと思えることは、上に書いた3項目の優先順位を決めて取捨選択し、選んだ道を正解にしようと努力を重ねた人しか転職は成功しないということです。よく会う間柄で言えば大学時代の親友や前職の同期は全員「あの時の決断は正解だった」と言っています。端から聞いていてもそう思えるし、彼らの顔つきを見れば努力と決断力で今の自分を勝ち取った感じがすごく伝わってきます。これはもう、驚くほど全員に共通していますね。

 

結局はただ環境を変えただけではダメで、自分にとって大事なことに優先順位をつけて決断すること、よりハードな壁が現れても努力して乗り越える覚悟が大事だということです。

 

僕はエージェントではないので仕事紹介はできないけど友人としてモヤついてることを言語化するお手伝いくらいならできるかもしれないので、そういう人は飯でも食いに行きましょう。

第二新卒転職のリアル

というテーマで書けるほど知識があるわけではないのですが、同世代の友人や後輩たちから相談を寄せられることも多いので、今自分にある知見から絞り出して書いてみようと思います。

 

第二新卒」という言葉に明確な定義はないものの、新卒で入った会社を3年以内に辞める25歳前後の人たち、という意味合いで使われることが多いです。

 

世の中的に新卒入社の約30%が3年以内に離職すると言われていて、僕が転職したのも25歳の時で社会人歴は3年目。まさに第二新卒の時でした。実はそれまでにも1回転職を試みたことがあったんですが、経験が浅すぎて話にならないことを痛感して思いとどまったことがあります。

 

本格的に始めた2回目の転職活動では、大手から海外の企業まで幅広く受けました。 そこであることに気が付きます。「基本的に聞けれることって4つじゃないか・・・?」と。

 

・なぜ今の会社に入ったのか

・そこで何を残したか、どんなスキルを積んだか

・なぜ転職しようとしているのか

・うちの会社にきて何ができるか、したいか

 

応用編というか捻った質問も当然飛んできますが、上記4つの質問に対してきちんと回答することが大前提な気がします。これらは基本中の基本と言ったところですかね。そのため転職の際はまず「新卒時から現在にかけての選社軸の変化と背景」を整理しておく必要があります。第二新卒の場合は採用する側もまだ「秘めたポテンシャル>現段階でのスキル」で見てくれるケースが多いので、この部分から固めていったほうが考えやすいでしょう。

 

自分が経験して思ったことは、学生の時にどこかで聞いたことがある

 

「最初は大手に入っておいた方が転職の時に有利になる」

 

という言葉は本当だったのかな?ということ。少なくとも僕の場合は企業名で何かを判断されたことはなく、あくまで選社軸の変化、スキルや経験だけをシンプルに見てもらえていた気がします。周りで転職して行った同期や後輩においても話を聞くと大体僕と同じみたいなので、学生の時に聞いた話は信憑性に欠けると思っています。

 

結局はどこに属していたかというより、そこで何をしてきたか、何を身に着けてきたかが大事ということですね。採る側の視点に立てば当然なんだけども・・・。

 

なんだか書いてるうちにブログの信条である「ゆるふわな感じ」が欠けてきたのと書きたい話が 恐ろしく広がりそうになってきたのでこんなとこで止めておきます。